それはウィンリィが教えてくれたんだ。
『オモイ、オモワレ、フリ、フラレ』
ニキビの場所にも意味があるって話。
ひたいが『想い』、あごが『想われ』、右ほおが『振り』で左ほおが『振られ』・・・だったっけ?
そういえば村の女の子たち、ニキビを見ては大騒ぎをしていたことが確かにあった。
まだほんのガキの頃。オレの額にぽつんとできた、ちいさなちいさなニキビを見て、女の子たちが騒ぎ出したんだ。
『想いニキビよ』『誰を想っているの?』『ウィンリィちゃんかな?』『ねえ!あごにニキビのある子いる?』
なに人の顔見てこそこそ話してんだよ!!
女の子達に向かってそう吠える寸前で、オレはウィンリィに捕まってそのまま引き摺って行かれ、そうしてあの『想い想われ』なニキビの
言い伝えを懇々と教えられたのだった。
『・・・想いニキビ?』
『そう』
『んで、オレが誰を想ってんのかって話をしてたってぇの?』
『そうそう』
『兄ちゃんはひそかに人気があるんだよねぇ、女の子から』
そう言ってふにゃんと笑んだのは弟のアルフォンス。自分の兄貴が女の子にモテていると聞いても素直に得意がっていた。
まだほんのガキの頃。
『オレが誰を想ってんのかって、そんなのもう決まりじゃん』
オレはあの時そう言った。それは何故だか覚えてる。
その時弟のあごにぽつんと出来ていた、所在無げな赤いニキビを真っ直ぐに指さしたことも。
それを見たウィンリィとアルが、一瞬ぽかんとした後で、二人揃って真っ赤になって、それはちょっと意味が違うと口々に言ってきたことも。
『・・・あ、兄さん、想われニキビ』
黒い皮革の指を伸ばし、ボクは兄さんのあごをつん、と突く。
チョコレートがけのプレーンドーナツをむしゃむしゃと貪る兄さんのあごに、ぽつんと出来た小さなニキビ。
見た目につるんとした肌の持ち主である兄さんの顔の中で、そのニキビは小さいながらも大いにその存在感を主張していた。
『想われニキビぃ?あー、これか』
ドーナツの最後のひとかけを口に押し込んでから、兄さんはぬっとあごを突き出した。当てた中指でかりかりと、その異物をいじり始める。
『いじったらダメだよ』
『だって気になっちまったモンはしょーがねえだろ』
潰すか、と言ってニキビに爪を押し当てる。ダメだってば、と言いながらボクはその手を封じ、そうしてそこで、ふと悪戯心が湧き起こった。
『・・・・・・そう。潰すならボクに潰させてよ』
わざと低めの声でそう言って、ちいさなあごをそっと捕らえる。
冴えた月の夜。焚き上げた火は赤々と燃えている。イーストシティを南に外れたこの丘で、今夜は野宿の構えだった。
兄さんはきょとんとした瞳でボクを見ている。黄金色の瞳が、焔の橙に照らされて、まるで甘い花蜜が蕩かされたような、そんなあやうい
艶を浮かび上がらせた。
捕らえたあごを親指で撫でた。右に左に。その途中に盛り上がる、小さな突起を柔らかく掠めていきながら。
『・・・だって憎たらしいじゃん。誰に想われてるの、兄さんは』
その花蜜に映るのは、冷たい鈍色。
ボクのかりそめの体である鋼鉄の鎧。
こんな戯言めいたやりとりも、成立しない無機物の塊だ。
『・・・オレが誰に想われてんのかって。そんなのもう、決まりじゃん』
けれど兄さんは笑った。猫のように笑った。
胡坐を掻いたボクの足の上に、するりとしなやかに乗り上がる。
そうして更に伸び上がって、額にそっとくちづけた。
『・・・このとんがったヤツ。これさぁ、おまえの想いニキビなんじゃねーの?』
だからやっぱ、このニキビ、潰していいのはおまえだけかも。
鎧の額の冷たい尖りに、想われている象徴の突起をのせたあごを擦りつけ、切なげな笑みと共に兄さんはそっと囁く。
『・・・・・・ボクの想いは尖ってるんだね』
『そーね。確かに。おまえの想いは痛いくらい』
ボクがこの鎧に棲まうようになった、その初めからそこにある“想いニキビ”。
確かに硬く尖っていると思った。
あの頃のボクの想いは、ボクの兄さんへの想いは、いっそ彼を傷つけてしまえるほどに、鋭く、激しく、尖っていた。
◇
「・・・・・・ただいま〜」
ふらふらと力なくエドワードが勝手口のドアを開けた時、アルフォンスは丁度、正面口から最後の患者を見送ったところだった。
「お帰り。どうしたの。何か疲れきってるね」
「うん。また例の葛藤がな」
「“スクープか人命救助か”ね。で?またデスクに叱られた?」
「それはもう長々と」
どんよりと肩を落とすエドワードの様子も、アルフォンスが見れば庇護欲を掻きたてられるものでしかない。
「あははは、それはお疲れさまでした」
笑ってエドワードを抱き寄せる。エドワードの方も逆らわずに、こてん、と肩に額を乗せてきた。
「・・・仕方ねえよな。勝手に身体が動くんだ」
「うんうん。ボクはそんな兄さんが大好きだ」
地方紙の記者であるエドワードは現在、一般人なら誰も足を踏み入れたがらない、荒廃したスラム地区の現状の取材を命じられている。
腕に覚えがあるエドワードだからこそ下される取材命令ではあるが、だがいつだって生きて帰ってくるのに、一向にスクープ記事を持ち
帰ってこないエドワードに、デスクが業を煮やしているのも、さもありなんとアルフォンスだって思う。
大事な兄を危険地帯に送り込むなんて言語道断、というのはまた別の話であって。
けれど所謂スクープ場面、例えば命のやりとりが目前で展開されているような場面で、衝撃的な写真を撮るよりも前に『殺し合いなんて
不毛なことは止めんかぁ!』と派手な錬金術をかましてその場を終結させてしまうエドワードが、愛すべき存在でないとはきっと、誰にも
言えないはずなのだ。
だからこそ毎回空手で帰ってくるエドワードをがみがみ叱りつけたとしても、それでもデスクは何度でもエドワードをそこへ送り込む。
いつだってエドワードの安否を心配しながら。
この兄はいつも良い理解者に恵まれる、と内心で一人ごち、アルフォンスはほんのわずかばかり腕の中の兄から身を剥がすと、改めて
エドワードの顔を至近距離でまじまじと見つめた。
「・・・・・・振りニキビ」
マシュマロのように触り心地の良いエドワードの頬。右側のそこに、唐突な印象の、ぷつりと小さな赤い突起をアルフォンスは発見する。
「・・・・・・振られニキビ」
すると間髪入れずに言い返された。エドワードの指が伸びて、アルフォンスの左頬をいささか乱暴にずいっ、と突いた。
「おまえ、誰に言い寄って振られたんだよ!オレというものがありながら!」
「兄さんこそ誰に言い寄られて振ったわけ?ボクがいるんだからそういう隙は作るなっていつもいつも言ってるだろ!」
「二股か、それとも八股か!?んだよ、ちょっとモテるからってな、そんな爛れた女遊びは兄ちゃん許さねえかんな!」
「人を伝承の大蛇みたいに言うのやめてくれる?あのね、兄さんね、そうやって人の恋心をもてあそぶようなことしてると、その内ボクが
天誅を下すよ」
おおやってみろ、とエドワードが言う前に、二人の手が素早く動いて互いの頬をむんずと掴んだ。
アルフォンスはエドワードの右頬を。エドワードはアルフォンスの左頬を。
「・・・こなくそ〜、こんなニキビ、オレが潰してやる」
「ほんっと兄さんってガキっぽいよね、こんなニキビ一つでそこまでムキになるかっての」
「ほ〜ゆ〜おふぁへらっへムヒになっへるりゃん!」
エドワードよりも背の高いアルフォンスが掴んだ頬を摘み上げたところで、このなんともくだらない闘いはあっけなく幕を閉じた。
じんじんと痛む頬を互いにさすりあいながら、ふたりはへらりと眉を下げる。
「・・・今でもこんな風に言ったりするのかな」
「想い想われ、振り振られ、な」
「ボク、今日最後に診た男の子に注射をしたんだよね。で、また3日後に来てねって言ったら、イヤだ!ってさ」
振られたってわけさ、とアルフォンスは肩をすくめる。
エドワードはくしゃりと白い歯を見せて笑いながら、「オレはあれだ、スクープを振ってきたってことなんだろ」と、同じ様に肩をすくめた。
そうして気分直しに入れたホットチョコレートが、ふたりにニキビを増やすとしたら。
お互いに、ひたいとあごに一つずつ。
甘い結末なら、そうなるはずで。
HAPPY END vv
【SWEET SWEET SWEET PIMPLE】
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