その、背中 |
頭イイのに悪そうに見えるトコとか、甘えるように鼻を鳴らすトコとか、この垂れた耳とか、情けなさそうな目とか……とかにくどこもかしこも可愛いなと、エドワードは口元を緩めた。 アルフォンスにしてもらってるブラッシングが嬉しいのか、さっきから一生懸命しっぽをぱたぱた振っている。 手入れをしている弟もずいぶん楽しそうだ。 エドワードはその傍らで、このお隣から預かった大型犬の顔を、くすぐったり撫でたりしていた。 「かわいーよなぁ。犬飼いてーっ」 「犬っていいよね。僕猫派だけど飼いたいなぁ」 飼いたい飼いたいとは言いつつも、飼えないことを2人は知っている。 旅をしなくなって安住の地を得たとは言っても、2人とも生活の時間が不規則だ。 とてもペットの面倒をみれるとは思えない。 家を持ったら猫を飼いたいと言っていた弟も、軍に入隊することを決めたときに諦めたようだった。
アルフォンスの言葉を理解しているのかいないのか、犬のビーはタイミングよくワンと吠る。 2人は顔を見合わせると、声を出して笑った。
近くの河原まで行くと、三度のメシより好きだという、ビー持参の赤いフリスビーを投げて遊んだ。 「おお! すげーぞ、ビー!」 犬は茶色い毛並みを揺らしながら、飛び上がってキャッチする。 面白いように上手に取るので、2人はつい意地悪をしたくなる。 「今度は遠くに飛ばすよ。 犬はどんなに遠くに飛ばしても、赤いオモチャに追いついた。 アルフォンスが器用に遠くに飛ばすので、エドワードも負けじと遠くに飛ばす。 「くっそー、なんで簡単に追いつくんだ」 これでもか、と遠くに飛ばしても、ビーはすぐに追いついてフリスビーをキャッチすると、千切れそうなくらいしっぽを振って戻ってくる。 褒めて、と見上げてくるので、その度にアルフォンスが笑顔で頭を撫でた。 「ビー、勝負だ! これでどうだーっ!」 エドワードが思い切りよく飛ばすと、赤い円盤は大きな軌跡を描いて空き地の敷地を遥かに越え、隣の雑草の中へと消えていく。 「げ。やべえ。……アル、どの辺に落ちたか分かるか?」 「大体は。……でもこの中から探すのは骨が折れそうだね」 雑草はアルフォンスの背丈をも覆うくらい、高く生い茂っていた。 しかし犬のビーは物怖じすることなく、雑草の中へと入っていく。 「臭いで分かんのかな?」 「さあ。とにかく一緒に追いかけてみよ」 ビーに続き、二人で雑草の中へと足を踏み入れる。 中は思ったより視界が利かず、足場も悪い。 「くっそー」 エドワードは先を行くアルフォンスの背中を見ながら、草を掻き分け、見失わないようについて行こうとするのだが、身長の差ゆえか、だんだん離されていく。 焦れば焦るほど、足を取られる。
弟の背ばかり気にしていたら、足元が疎かになって何かに躓き、バランスを崩して転びそうになった。 転ばなかったことにホッとして再び顔を上げると、弟はもう随分と前へ進んでいて、はっきり姿を確認できなくなってきていた。 アルフォンスの背中が遠のく。 必死になって追いかけて、手を伸ばすのに届かない。
姿がどんどん、草の向こう側へと消えて行く。
独り残される不安と、弟が居なくなる恐怖感が突然湧き上がり、エドワードを支配した。
黒い布で覆われたように、胸が塗り潰されていく。 耳に聞こえるくらい、鼓動が早くなっていく。
アル、と叫びそうになりながら、夢中で草を分けた。 見失ったら がさがさと鳴る草の音の中に、弟の気配がないか、必死で辿る。 自分が立てる音しか聞こえなくなったことに焦燥を感じて、アルフォンス、と小さく呟いた時だった。
「こっちだよ」
声のする方へ草を掻き分けると、探していた自分より一回りは大きい姿が、すぐに現れる。 微笑みを浮かべながら、アルフォンスはこちらを振り返っていた。 そうして、静かにエドワードに向かって右手を上げる。 自分に差し伸べられた手を、まるで小さい子供のように条件反射で掴んだ。 アルフォンスは相好を崩すと、エドワードの手を引いて犬の後を追いかける。 エドワードはその背を見ながら、ふと切なくて泣きたくなった。
犬のビーが草むらの中から姿を現し、しっぽを振っている。口には赤い円盤が銜えられていた。 アルフォンスの右手が、エドワードの左手から離れていく。 思わず、名残惜しげにその手を追ってしまった。 「よしよし。偉いね、ビー。おかげで探す手間が省けて、助かったよ。ありがと」
なにやってんだ、オレ こんななんでもない日常なのに、何を感傷的になっているのだろう。 胸が苦しくて、息が詰まりそうになっているのだろう。 犬を先頭に、来た道を戻ろうとした時だった。 アルフォンスの右手が、エドワードの左手に伸びてくる。 驚きで少し強張った兄の手をしっかり握ると、アルフォンスは背中を向けて歩き出した。 さっき手を離したときに名残惜しそうにしたのがバレてたんだ、と思うと顔に血が上る。 なんだか恥ずかしいし、歩きにくいので、さりげなく手を解こうと思った。 掴まれた手のひらからそっと抜き取るように静かに引くと、離れる直前、逆にアルフォンスに強く手を引き寄せられた。 アルフォンスは手が離れないように、エドワードの指へ自分の指を絡めて手をつなぎ直す。 そうしてそのまま、背を向けたたまま歩き続けた。
アルにこの音が聞こえるんじゃないだろうかと思うほど大きな音で、どきどきした。 ずいぶん長く感じる。こんな奥まで分け入ったんだっけ?
あれこれ考えながら歩き続けると、急に視界が拓ける。 目の前にさっきまで遊んでいた空き地が広がっていた。 ようやく背丈高の草むらを抜けたのだと知り、何故だかエドワードはほっとした。 当然手を離すだろうと思っていた。 しかしアルフォンスは兄の指を自分の指に絡めたまま、家へ帰ろうとする。
「ちょ、ちょっと……ア…アル?」 手を離そうと、もがく。 でもアルフォンスはその手を離すどころか、更に強く深く握り締めてきた。 絶対離さないとその指が主張しているようで、エドワードは困り果ててしまう。
このまま、本気で手をつないだままで家に帰るつもりだろうか? なんだかすれ違う人、皆がこっちを見ているような気がする。 意識しすぎてしまったエドワードは、恥ずかしくて恥ずかしくて顔を上げることができなくなってしまった。
アルはいま、どんな顔をしてるんだろう?
ずっと自分に背中を向けている弟の表情を窺い知る事はできない。 回りこんで顔を見るなんて事も、なんだか照れくさくて出来そうもなかった。
しっかり握られたこの手の意味を考える。
離れたくないって思ってる? 離したくないって思ってる?
つないだ手を離すまで、きっとエドワードに顔を見せない。
また、息が詰まるように胸が切なくなる。 何か言葉にしてアルフォンスに伝えたいと思うのに、言葉は出ないし、何を言っていいのかも分からない。
ただ、いまは手を離しちゃいけない、と思った。
エドワードは強く握られた手を、アルフォンスの思いに応えるように強く握り返した。
その、背中 |
もどかしい距離って好きです。