「サバイバル訓練?」
「うん、明後日から。二泊三日になるかな」
旅行にでも行くかのような呑気な言い草に、エドワードは呆れ返った。
「おまえ……なんでもないみたいに言うけど、ハードな訓練なんじゃねえの?」
「うーん、少しはハードだろうね。携帯はナイフ一本と水筒だけみたいだから」
「それだけ? 食いモンは?」
「1日分の携帯食は持っていくみたい。あとは現地調達」
「野草とか採んのか?」
「たぶん。狩りもするのかも」
訓練と言うくらいだから、何人かでチームを組み、教官が指導してくれるのだろう。子供の頃の修行に比べれば、確かに楽そうではある。
コーヒーをアルフォンスに手渡しながら、じゃあ訓練から帰ってきたら久々に外に食いに行こうぜ、とエドワードは言った。
「どうせロクなの食べれないんだろ? だからなんか美味いヤツ」
「兄さんの奢り?」
「おまえの奢りだろ?」
「僕なんかよりはるかに高給取りなんだから、それくらい奢ってよ」
「兄ちゃんに甘えちゃいかん、弟よ」
なんでもない訓練だと、エドワードもアルフォンスも思っていたのだ。この時は。
「遭難……?」
呆然と呟いたエドワードへ、マスタング准将は大きな紫檀のデスクの向こう側から淡々と告げた。
「プレスコット特務曹長率いる小隊8名が、帰還予定日を過ぎてもまだ帰って来ない。これから下山するという連絡を最後に、無線も通じなくなってしまった。何らかの事件、事故に巻き込まれた可能性が高い。当局は遭難したと判断、明日より捜索を開始する」
書類を棒読みするかのように言うと、ギシ、と椅子を鳴らしてマスタングは背凭れに体を預ける。
「雪山というわけではないし、樹海でもない。単純に迷っただけなら命の危険に晒される事はないだろう。
アルフォンスもいるしな」
今日、帰ってくる筈だった。
帰ってきたら一緒に街へ出かけて、一緒に食事をして、お互いの三日間の出来事を話す筈だったのに。
「鋼の」
無言のまま目を伏せたエドワードに、静かな声でマスタングは言った。
「君はもう家に帰っていい。自宅待機だ。 何も考えず、ただ朗報を待っていたまえ」
何も考えずになんて、出来る筈もなかった。
廊下に出ると、もう話が伝わっているのか、皆が同情的な目をエドワードに向けてきた。
「大丈夫? エドワードくん」
「平気か」
「すぐ帰ってくるって。な?」
「気をしっかり持ってね」
行く先々で肩を叩かれたり、声を掛けられたりした。
その度に実感が湧かず、なんでもないことのように思えて、いつものような笑顔で「サンキュ」とか「大丈夫だって」と応える。
ちょっと予定がズレて遅れてるだけのような気がする。
けろっとして帰ってきて、「ごめん、ちょっと遅れちゃったよ」といつものようにやわらかく微笑んで。
だってどうしても信じられないのだ。アルフォンスが行方不明だなんて。
だいたい大人しく行方不明なんかになるタマじゃねぇよな、と呟くと、ますます現実感がない。
例えどんな困った状況に陥っているとしても、アルフォンスはサバイバルに長けている。必要最低限のナイフは携帯しているし、錬金術を使うのを禁止されているわけでもない。
「大袈裟なんだよ、遭難なんて」
心配するだけ無駄だ。捜索隊なんていらない。
きっと、明日には帰ってくる。
すぐ、帰ってくる。
「……エド。おい、エド」
はっと我に返ると、ブレダがこちらを見下ろして溜息をついていた。
「悪ィ。なに?」
ブレダは手にしていた書類で、デスクに腰を下ろしていたエドワードの頭を叩く。
「おまえ、昨夜ちゃんと家に帰って寝たのか? 目が真っ赤だぞ」
「あー…。昨日は、ちょっと……」
「帰らなかったのか? マスタングの旦那に自宅待機って言われたんだろ?」
「忙しくてさ。家にただ居たって、すること何もねぇし」
「じゃあちっとは寝ろよ。顔色も悪いぞ。仮眠室で寝てこい」
「……オレになんか用だったんじゃねぇの?」
「急がないヤツだから、アルフォンスが見つかってからでいい」
エドワードはちょっとムっとする。
「なんだよそりゃ。アルがいないとオレは使い物にならないってか?」
あほ、とブレダはもう一度手にしていた書類で金色の頭を叩いた。
「おまえが変なトコでシビアで律儀なのは知ってる。どんな時もちゃんと仕事をこなすのも。だから労わってやってんだよ。それとも余計なこと考えずに済むよう、何かしていたいのか?」
「そんなんじゃねえよ。……心配なんて、してねーし」
「ほー?」
「あのアルに、何かあるはずもねえだろ」
そうだな、とブレダはちょっと笑って、エドワードの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「取りあえず寝とけ。そんな顔してて帰ってきたアルを心配させんなよ」
「どんな顔だよ。オレはいつも通りだ」
「こんな時まで強がるな。いいから仮眠室行け」
頭を撫でた手でエドワードを軽く小突いた。
躰が泥の中に埋まっているような強い倦怠に包まれて、意識は浅い記憶の海を漂っていた。
周囲を見渡すと緑の丘陵が見える。
放羊の柵と麦畑と果樹と点在する家。小さい頃によく見た風景だ。
エドワードは走り出した。帰らなきゃと思った。
緩やかな線を描く丘を越え、駆け下りる。アルフォンスとウインリィの3人でよく遊んだ大きな木が見えた。
赤茶色のレンガと白い外壁、オレンジ色の屋根。
焼いてしまった筈の家がある。
これが夢なのだということはすぐに分かった。
そしてこの夢がどんな内容のものなのかも。
エドワードは手を伸ばす。
懐かしい木製のドア。
いやだ、と呟いた。
そのドアを開けるな。
目を強く閉じたのに周囲が鮮明に見える。
暗い室内。自分が開けたドアの部分だけが切り取られて床に光を落としていた。
白墨で描かれた、大量の血で穢された錬成陣。
血臭に満ちた空間に僅かな人の気配を感じる。
……見たくない。
何度夢に見ても慣れることのない、罪の光景。
蠢く肉塊。上手く形成出来てないのかヒューヒューと喉笛が鳴っている。
大きな恐怖が全身を包む。
抉じ開けてしまった奈落の蓋は深い真っ黒な穴を穿ち、エドワードが見ているのと同時に穴の中からエドワードを覗いているのだ。
アル。
隣には服と靴だけが残されている筈だった。
でも今日は違う。
軍服を着たアルフォンスが、こちらへ向かって微笑んでいる。
救いのような安堵が胸に広がって、エドワードは弟へと手を伸ばす。
あと少しで触れられる、というところで黒い光が弾けた。
アルフォンスの手と足と胴の一部が細かく分解され、消失していく。
躰がぐらりと傾いだ。
錬成陣の中に倒れ、陣が見えなくなるほどの大量の血が新たに流れる。
アルフォンスの双眸が急速に光を失って、瞳孔が拡散していった。
「 っ…は……」
一度に大量の酸素を吸って、胸が痛んだ。
寝汗をかいて髪が額や頬に張り付いている。カーテンで世界から切り離された薄暗い室内には、自分の荒い呼吸だけが響いていた。
そっと右腕をあげて見る。
鈍色の機械鎧。
過去の夢だと確認し、大きく息を吐く。
仮眠室のベッドの上に起き上がったエドワードは、立てた膝の上に両手を投げ出して項垂れた。
「 くそ…」
手に力が入らず、かたかたと小さく揺れている。
全身の震えは、なかなか治まらなかった。
感じる気配 1
|