「もう……バカ! なんでそんなトコに居んのよ、自宅待機じゃなかったの!?」
いきなり噛み付かれ、エドワードは受話器を耳から少しだけ離した。
「怒鳴らなくても聞こえる」
「なんでそんなに冷静なの」
「なんでおまえはそんなに冷静じゃないんだ」
冷静でなんか居られるわけないでしょ、とウインリィはまた電話口で怒鳴った。
「アルが……アルが……」
そして突然、子供みたいに泣き出す。
「落ち着けって。泣くな」
「だ……だって……」
「誰から聞いたんだ、アルのこと」
「リザさん。……電話くれて。あ、あんた達の家に電話したら、誰も、で、出ないし」
「だから軍に掛けて寄越したのか?」
ウインリィはしゃくり上げる。
電話の向こう側で頷いているのが見える気がした。
「アル、は………?」
「まだ見つかってない」
2人の間に少しだけ沈黙が落ちる。
「エド」
「ん?」
「アル、に………な、なにかあったら……どう、しよう……」
不安で押し潰されそうになっているウインリィを安心させたくて、大丈夫だって、と殊更優しく、なんでもないことのように言った。
「あいつに何があるっていうんだよ。あんなしぶといヤツ。そんなに心配すんな、ほっといても帰ってくるって」
「でも……」
「大丈夫だっつーの。オレが今まで嘘ついたことあるか?」
「………ある」
「……………」
ゴホン、と咳払いをして、とにかく大丈夫だから、と宥める。
「すぐ帰ってくるから。だからおまえは心配しないで連絡待ってろ。な?」
「……うん…」
電話を切って、息を吐く。
自分に言い聞かせたみたいだな、と呟いて、また息を吐いた。
「……どこ行ったんだよ、アル……」
電話に縋るように突っ伏して、自分でも情けないなと思えるような声で呟く。
「急に居なくなったりすんなよ……。怖いだろ……」
つい本音が出て、胸が塞がれるように苦しくなった。
早く帰って来いよ。早く。
こんな不安な気分に、させるな 。
その日の夕方、着替えるためにエドワードは一旦家へ帰った。
玄関に入り、しん、と静まった室内を見渡す。
リビングの中心に行くと、ソファの前の床へ座り込んだ。
こんなに精彩を欠いた家だっけ? と自分たちの家を見渡しながらエドワードは思う。家具や壁の色は全部違うのに、何もかもが単一に見える。
ぼんやり天井の隅を眺めて、なんで今日に限ってこの家はこんなに素っ気無いんだろう、と考える。
まるで死んでしまったかのようだ。
死という言葉にどきっとする。
そんな自分に腹が立って、ソファにあるクッションを壁に向かって力任せに投げつけた。
少しだけ跳ねたクッションはキャビネットの上に落ち、上に置いてあった時計や花瓶を派手な音を立てて床へと薙ぎ倒した。
俯いて意味もなく「何だよ……」と呟き、そのままソファの座席に頭を凭せかけて、またぼんやりする。
山の中で……いま弟は何をしているだろう? 迷っているのなら、歩いて出口を探している? 下手に動かず救助の手を待ったほうがいいと教官が判断して、野営の準備でもしているだろうか? 穴を掘ったり火を熾したり食料を調達したり。ああ、水の確保の方が先か。
8人全員一緒に行動しているんだろうか? バラバラに逸れたりしてないだろうか?
山中で遭遇する不測の事態ってなんだろう。
潜伏していたテロリスト組織とか凶悪犯とかに、たまたま遭遇して拘束された……とか。
あのアルが?
それとも、落石事故にでも巻き込まれた?
巨大な岩の間から弟の手だけが力なく覗いているのを想像し、エドワードはもう一つのクッションを掴んで壁に投げつけ、再び何かを壊す。
エドワードは両手で顔を覆った。
ありえない。錬金術を使える弟が、そんなものに簡単に巻き込まれるはずがない。いや、それとも誰かを庇った? 庇って巻き込まれた? 落石に?
「 ちくしょう」
このソファでよくうたた寝をしていた姿を思い出す。キャビネットを見ると、中から何かを取り出してこちらを振り向く姿が思い出された。
キッチンの方を見ればリビングに顔を覗かせてこちらに話しかけてくる姿が、バスルームの方を見れば、洗濯物を抱えている姿が。
この家にはアルフォンスの気配が満ち過ぎている。
ダメだ。
とても家には居られない。
逃げ出したい。
着替えを取りに戻ったのに、エドワードは何もせずに家を出た。
軍のシャワー室を使えばいいし、着替えは売店で買えばいい。
アルが見つかるまでは、絶対に家には帰らない。
アルフォンスの部屋の隣にある自分の部屋になんか、近づけるはずもなかった。
行方不明だった小隊が見つかったらしい、と人伝えに聞いたのはその日の夕方だった。
真偽を確かめにマスタング准将の司令部に走ったが、待っていたのはエドワードを安堵させる情報ではなかった。
「無事下山出来たのは、訓練中の兵士4名だけだ」
「アルは?」
「含まれていない」
眉を寄せ、なんで と呻く。
「なんで小隊は全員が一緒じゃないんだ。一緒に行動してたんじゃないのかよ。なんで予定通りに下山できなかったんだ」
「不測の事態が起きたからだな」
「だからそれはなんだっつーの!」
「熊が出たそうだ」
「 は?」
思いもかけない言葉に、一瞬思考が止まる。
「……なんだって?」
「熊」
「クマって……あのクマか?」
「そう、そのクマ」
暫し沈黙する。
「……笑い事じゃないんだな?」
「笑い事じゃないな」
椅子から立ち上がったマスタングは、たった今届いたという報告書をエドワードに手渡して寄越した。
「訓練中、小隊は熊と遭遇し、女性兵士が襲われたそうだ。それを助けようとした教官 プレスコット特務曹長が女性兵士と熊もろとも崖から転落したらしい。2人を助けようとしたのか、それを追ってアルフォンスが崖から飛び降り、続いて小隊長が、残った隊員にこのまま下山して助けを呼ぶよう言い残して、後を追った。残された隊員は、ひょっとしたら小隊長かアルフォンスのどちらかが崖を登ってくるんじゃないかと一晩その場で待ったそうだが 」
「登ってこなかった?」
「そういうことだ。残された隊員4名は助けを呼ぶべく下山しようとしたが、なにぶん山に不慣れなヒヨッ子たちだからな。迷ったらしい。飲まず食わずで彷徨っていたから衰弱が激しく、全員今日は入院だ」
「崖って……どのくらいの崖なんだ?」
「断崖絶壁ではないらしいが、そう簡単に飛び降りようとも思わない崖だそうだ」
「……………」
「他に何か知りたいことはないか? 私が知り得た情報の限りは答えよう」
「……じゃあ、もうひとつ。怪我とか……してそう?」
「アルフォンスは分からない。だが血痕が残っていたからそうだから、女性兵士か教官か……あるいは2人ともか、怪我をしているのは間違いないな」
そうか、とエドワードは息を吐く。
力ない様子に、マスタングは眉を顰めた。
「待ちに待った情報だろう。少しは安堵したらどうだ」
「……状況が分かったってだけで、安否が確認できたわけじゃない。がっかりもするさ」
「そんな深刻な状況じゃないと分かっただろう」
「崖から飛び降りたのに?」
「彼だからこそ、大丈夫だと思うが」
「クマも一緒なんだろ?」
「アルフォンスなら食料調達だと言って、食ってしまいそうだぞ?」
唖然としてマスタングの顔を見たエドワードは、小さく笑った。
「クマって食えんのかよ?」
「さあな。私は食べたことがない。だが彼ならそのくらいちゃっかりしてそうだ」
声を出して笑ったエドワードを見て、マスタングも表情を緩める。
「明日から崖下を中心に捜索するそうだ。大丈夫、見つかるさ。心配しないで待っていればいい」
「珍しく優しい言葉だな。熱でもあんのか?」
「私はいつでも平熱だ」
ふん、と鼻で笑ってエドワードは僅かに目を伏せ、小さく言った。
「……悪ぃな。サンキュ」
マスタングは意外そうに片眉を上げる。
「熱でもあるのか?」
「オレだっていつでも平熱だ」
また笑って、肩の力を抜く。
そうだ、あのアルフォンスがそう簡単にへばるとは思えない。後を追って崖から飛び降りたのも、自分なら2人を助けられると思ったからだろう。
早く帰って来いよ、アル。
きっと明日には帰ってくる、きっと見つかる。
何度もそう繰り返し、自分に言い聞かせた。
しかし次の日もアルフォンスは帰って来なかった。
感じる気配 2
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