叶わない願いを願う 1 |
医師の説明を受けてから、僕は処置室に案内された。看護師が引いたカーテンの向こうに、診察台に座っている兄がいる。 僕を見て、オドオドと引き攣った笑顔を見せた。 「……よ、よう、アル……」 何でもない事のように気安く片手を上げて挨拶したかったに違いない。 右機械鎧破壊、左肩脱臼、右足首捻挫。 顔も傷だらけだ。 唇の端は切れて腫れ、紫色になっている。 右腕と左腕の両方を首から布で吊るわけにもいかず、かといって壊れた機械鎧をそのままぶら下げていては接合部分への負担がかなりのものになるからと、腕は外されていた。 無事な四肢は機械鎧の左足だけ。 両手が使えないから、松葉杖すらつけない。歩くこともままならないという状態だ。 「 『バカ兄』とは何度も言ってきたけど、今日ほどこの言葉を心底吐きたいと思った事はない。 「いやぁ、ちょっと、転んじまって……」 僕を心配させまいと、下手な嘘を付く。 兄さんは今日から一週間、療養ための休暇を貰っている。しかも看病のためにと、僕まで軍から休みを出された。 どう考えても軍の、それも重要な仕事中に怪我をしたと知れる。 医師に聞いたものの、兄さんにきつく口止めされているらしく、どうしてこんな怪我を負ったかは聞き出せなかった。
「兄さんと組んでたノエイ少佐は?」 「ああ、大丈夫。急所外れてたみたいで二週間くらいで退院できるって 「…そう。少佐も負傷したの」 やっぱりこの怪我は軍の仕事で負ったものなのか。 「……とにかく、入院するような怪我をしなくて、良かった」 溜息と共に心底呟くと、兄さんは神妙な顔になって俯き、ゴメンと言った。 「悪いと思うなら無茶しないでよ」 憮然と言って、兄さんをひょいと持ち上げる。 「さ。帰るよ」 「ばっ……、ちょっちょっと待てい! 下ろせ!」 「なに言ってんの。歩けもしないくせに」 「だからって、なんでお子様抱っこなんだよ!」 僕を見下ろしながら、赤い顔をして文句を言う。 「横抱きの方が良かった?」 「なお悪い!」 「じゃあ文句言わないで大人しく抱かれてろ。暴れると落とすよ」 不機嫌に言うと、さすがに黙る。 外された機械鎧の右腕と、処方された飲み薬と貼り薬、痛みで眠れないなんてことがないように2日分の睡眠薬、そしてサポートタイプの包帯を大量に受け取り、安静にするようにと注意を受けて病院を出る。 このままバスに乗って家に帰るつもりでいたら、病院の出入り口に軍の車が用意されていた。 近所の目があるから断りたかったが、僕に抱きかかえられたままの格好でバスに乗っては兄さんが居たたまれない思いをするだろうと思い直し、素直に家までお願いした。 「そういえば上着は?」 「あー……、えーと……汚れてたから、その、洗濯に」 「病院側で?」 「いや……軍が…」 「 「オ、オレの血じゃないからな」 「ノエイ少佐の血?」 あ。黙った。 僕は深い溜息をつき、身を屈めて兄さんの額に頬を寄せた。 「な、なんだよ」 「別に」 そのまま髪に鼻先を埋めて、匂いを嗅ぐ。 「は?」 脱衣所で脱がせるのは骨が折れそうだ。ここでさっさと脱がせよう。 「うわわわわ! なななななにするんですかアルフォンスくん!」 「うるさい。大人しく脱がされろ」 シャツのボタンをすべて外し、軍服のスボンのベルトに手を掛けると、兄さんは激しく抵抗した。 「待って待って待って待って待ってアルフォンスくん!」 「なに」 「風呂って、なんで!」 「髪の毛が血で汚れてる。よく見ると首筋にも」 「え?」 「髪に付いた血のせいで、体もあちこち汚れてる。だからお風呂に入るの」
「待てっつーの! じ、自分でやるから!」 「なに言ってんの、左足しか動かせないくせに」 「左手だって動かそうと思えば動かせる!」 「安静に、って先生に言われただろ」 「弟にこんなことしてもらって安静になんかしてられっか!」 「なんでそんなに嫌がるの。恥ずかしいの?」 「あたりまえだっ」 「いいでしょ別に、兄弟なんだから。昔はよく一緒にお風呂に入ってたんだし」 「ガキの頃と今とじゃ状況がぜんっぜん違う!」 「僕は気にしないから」 「オレは気にする!」 「……なんでそんなに抵抗するの。もしかして僕のこと、意識してる?」 ぐっ、と詰まって、もうそれが答えのように兄さんは赤くなった。 本当かな。 弟だから気にしてるんじゃなくて? 僕の愛情の形が兄弟に対するそれじゃないことを、まだ兄さんには伝えていない。 「これならいいでしょ? 僕も見ないから。下着も脱がせていい?」 赤くなりながら俯いて、小さく「うん」と頷く。
シャワーを浴びせながらバスタブにお湯を溜めて行く。 「寒くない」 「おう」 躰の方は、石鹸で洗ってあげたりするとまた激しく抵抗されそうだから、血や汚れを洗い流すだけにしておこう。 バスタブの淵に頭を預けた兄さんの髪を、こっちは専用の石鹸で洗う。血糊はすぐには取れなくて、丁寧に泡に溶かした。白い泡がうっすらピンク色になるのを見て、僕は顔を顰める。 「えへへへ。人に髪を弄られるのって、気持ちいいのな」 「……存分に気持ちよくなってください」
兄さんが目を閉じたのを幸いに、僕はその表情を舐めるように見た。 金色の睫とか、ほんのり色付いた滑らかな頬とか、口の端に青い痣を作った赤い唇とか、綺麗な稜線を描く顎と首とか、しっとり濡れた鎖骨とか どれもこれも情欲を煽ってくれて、目が眩む。 白い肌にはあちこち青痣が出来ていた。 それすら淫靡だけど………同時に沸々と怒りも湧いて来る。 どこの誰がこんな傷を付けたのか。 「そういえばウィンリィに兄さんの機械鎧の修理のこと、連絡しないと」 「ああ、もう病院でして貰った」 「来てくれるって?」 「明日の夕方にはセントラルに着くって言ってた。また殴られるかもな」 ということは、こんな世話も明日の夕方までか………。 「流すよ」 シャワーで流すと、くすぐったい、と笑いながら身を捩った。 左足首を湿布して包帯を巻き直し 脱がせたときはとにかく血を洗い流さないと、ということしか頭になかったけど、今はちょっと状況が違う。バスルームでシャワーの水滴を弾く兄さんの瑞々しい肌を見たせいで、必要以上に僕の方も意識してしまった。注意してないと、何かが暴れ出しそうだ。………参ったな…。 「もう寝るだけの格好でいい?」 「ああ」 足首に包帯を巻くのは平気だった。 「お、おう」 僕の動きに合わせて腰を持ち上げるのを見て、慌てて目をそらした。 本来ならこんなおいしい姿、凝視してしまうところなんだけど、この状況ではヤバ過ぎる。自分のためにも兄さんのためにも、無感動を装わなければ。 何か難しい事でも考えようか、などとムッツリしていたら、兄さんが小さくゴメン、と言った。 「は? なに?」 「いや、アルも色々忙しいのに、オレの世話なんか、させちまって。しかもこんな、風呂に入れたり、服着せたり……」 ばし、と子供みたいな可愛いおでこを叩いてやる。 「なに勝手に勘違いしてんの。そんなんじゃないよバカ」 「だってよ…」 可愛い声を出すな。可愛く上目遣いでこっちを見るな。 「兄さんの世話をするのが嫌なんじゃありません」 「でも」 「兄さんは余計な事考えないで、存分に僕に世話焼いて貰えばいいんだよ」 「……でも、すげぇ機嫌悪ぃじゃん、おまえ」 「僕には僕の懊悩があるの。兄さんは気にしなくていいんだってば」 体を隠していたタオルを取ると、青黒く腫れている肩に湿布をして包帯を躰に巻く。肩から胸部にかけて巻くので、体を密着させないと出来ない。 僕の腕の中に抱き込むような感じで、背中に手を回し、胸に巻いて肩に巻いて。 こんなことを考えるのは、僕が兄さんに特別な想いを抱いているからだけじゃない、絶対に。 自覚してるのかなこの人、自分がどれほど周囲の人間に溜息吐かせるのか。 出張先で同行した同僚とか部下とかにお風呂上りを襲われやしないか、本気で心配になって来た。
不可抗力で胸元にちょっと触ってしまったら、ぴくりと小さく揺れて、体を僅かに強張らせるのが分かった。 また僕の事、意識し出した? こんなことしながら2人で意識し合って、何をやってるんだか。そういう甘い状況じゃないんだよ、兄さんは危ない目に遭って、怪我をしたんだ。暢気にどきどきしてる場合じゃない。
ほっとしながらパジャマを着せて、ボタンを一つ一つとめていく。 脱がせてるわけじゃないのに……なんか、これもちょっと変な気分になってくる。 兄さんはボタンをとめる僕の指の動きを、じっと見つめていた。 叶わない願いを願う 1 |
『シャンプー』という言葉を「使っていいのか?」と悩んで『専用の石鹸』に
『パジャマ』って言葉を「使っていいのか?『寝着』の方がいいんじゃね?」と悩んで
結局『パジャマ』に。
兄さん、アメストリスの言葉を日本語に直すのは難しいよ………