叶わない願いを願う 3 |
当然今日もウチに泊まってくよな? と兄さんが聞くと、ウインリィはごめん、と右手を上げた。 「今日はグレイシアさんのところに泊まる約束してるの。で、明日には帰る予定。約束は午後からだから、それまではセントラル市内見て歩こうかな〜、なんて思ってる」
ウインリィが瞬いた。 「犯人捕まったよ。昨日の新聞に大きく出てたじゃない」 「え?」 「今日の新聞にも出てたけど。ああ、あった。ほら、これ」 テーブルの端に畳んで置いてあった新聞を広げて、よく見えるようにと僕のほうへ向けてくれる。 軍で動機などを事情聴取と書かれていた。 「 「昨日の新聞、読んでないの?」 「昨日はウインリィが来るまで兄さんの世話を焼いてたから、それどころじゃなくて」 いつも新聞を入れているラックを探してみると、昨日の新聞だけが無い。 「確か、セントラル市街の路地裏だかどこかで拘束されたって。2人の国家錬金術師が捕まえたらしいんだけど 「………拘束するときに、激しく抵抗されて……国家錬金術師の2人、重傷を負ったんだって」 僕もソファを振り返る。負傷した国家錬金術師は僕たちの視線を避けるように目線を泳がせた。
「なに言ってんだ、オレが知ってるわけねえじゃん。初耳だし」 「初耳? へえ。記事のこと知ってて、僕がウインリィを駅まで迎えに行っている間に苦労して新聞捨てたんだと思ってた」 「オ、オレが捨てるわけねえだろ。なんで……」 「僕に記事を見せたくなかったから隠滅したのかな、と思って」 「昨日、は……新聞休みだったんじゃ……」 「そうだね。ウインリィはちゃんと昨日の新聞読んでるけど、ウチの新聞だけは都合で休刊だったのかもね」 「……ウインリィ。悪いけど、ちょっと僕と兄さん、2人だけにしてくれる?」 僕の部屋に行ってて、と言うと、あーもうこんな時間だ、あたし出掛けなくちゃ、とショルダーバックを手にして玄関へ向かった。ちょっと待ってて、出掛けるなら僕が付いていくから、と言うと、いい、後でそっちの荷物だけグレイシアさん家に持ってきてくれればと、慌てたように出て行く。
「 「…えーと……アルフォンスくん、『で?』とは……」 「だからそれで? 他の言い訳は? もう思い付かないの?」 「…………」 「そう。じゃあ兄さんも観念したことだし、説明してもらおうか」
「おう!」 人気のない路地を、二つの影が右と左に分かれた。 石畳を走る硬いブーツの音が、周囲のレンガの壁に反響する。 相手は武器を持っている。 ちらりと見えたが、情報通りセミオートの銃だった。 「絶対逃がさねえ……!」 基本的に犯罪者逮捕は憲兵の仕事だが、その凶悪性と犯行があちこちの街を跨いでいるという事で国家錬金術師が捜査をしていた。 男はすでに5人を殺害している。なんとしても今ここで押さえないと、また犠牲者出る可能性があった。
パン、と乾いた音が空へと響く。 発砲した音だと気付き、エドワードは顔色を変えた。 二階建てレンガ造りのアパルトメントの角を音のした方へと曲がり、息を呑む。 相棒のノエイ少佐が体を丸めて倒れていた。体の下の石畳に血が見える。 「おい! 大丈夫か!?」 駆け寄って横たわった体を揺すろうとした時、背後に人の気配を感じて振り向いた。 男が銃口をこちらに向けて、引き金を引こうとしている。 咄嗟に身を屈めて右手を伸ばし、銃口を逸らそうとした。 発砲音と同時に金属への着弾音。 痛みを感じないはずの機械鎧の腕に痛みが走る。そのままだらんと垂れて動かなくなった。神経を繋いでいる何処かが今の着弾で切れたらしい。 「んにゃろ!」 足で拳銃を蹴り落とし、左手で相手の顎を鷲掴むようにして押し倒す。 「体術でオレに勝とうなんて10年早え!」 逃走心を失わせようと、もう一度頬を殴ろうとしたら逆に殴られる。唇が切れたのを感じながら殴り返そうとしたら、手を掴まれ、そのまま肩を思い切り蹴られた。 「………っ!」 ぼき、と嫌な音がして激痛が走る。左手も垂れ下がり、動かなくなった。 男はエドワードを突き飛ばして、起き上がろうとする。 拳銃を拾おうとしているのだと気付き、体が目の眩むような痛みを訴えてるのを無視してエドワードも起き上がった。 「させ、るかよ……!」 後頭部へ、勢いを付けて回し蹴りをはなった。 男は呻き、ゆっくりと倒れる。気を失ったらしくそのまま動かなくなった。 息を吐いて、落ちている拳銃を足で引き寄せ、倒れているもう一人の国家錬金術師の傍らに膝を付き、声を掛けた。 「しっかりしろ、おい!」 突然、血で濡れた手で胸倉を掴まれる。 「……うるさい。当分ビールが飲めなくなっちまった俺の腹に、響くだろうが」 青い顔で軽口を叩く様子にほっとして、エドワードは彼の躰の上に覆いかぶさるように痛む体を横たえ、脱力した。 「惜しいヤツを亡くした」 「勝手に殺すな。それよりなんだよあれは。10年早いとか言いながらやられてんじゃないよ」 「今日はまだ昼メシ食ってなかったから調子出なかったんだ。……9年に訂正しといてやる」 ノエイが笑う。その微かな振動が躰に伝わって、エドワードは痛みに顔を顰めた。
「オレの心配より、てめーの心配しろよ。待ってろ、いま救護車呼んでくっから」
腕を使わず立ち上がった途端、エドワードは崩れ落ちるようにひっくり返った。 「お、おい、大丈夫か!?」 「…や……べぇ……」 エドワードの顔が引き攣る。 「左足も、やっちまった……」
「それで、って……それで全部デス」 「なんで僕に隠したの」 「別に隠してたわけじゃ……」 「新聞捨てたくせに」 「………心配、させたくなくて…」 「それだけじゃないよね? 命に関わるような出来事だったからだよね?」 心配させたくなかったと言うのも本心だろうけど。
「思ったよ。だってそう言いてぇんだろ?」 「言いたいね。言わないけど」 「辞めないぞ、オレは。おまえが信念を持って軍に入隊したのと同じで、オレだって考えるトコロがあって国家錬金術師を続けることに決めたんだ」 「だから辞めろなんて言わないよ」 「でも怒ってんじゃねえか」 「あたりまえだろ馬鹿兄」 「すげぇ怒ってる」 「もう業腹だね」 「なんでだよ。……無事だったんだからいいじゃねえか」 僕は腕を組んでソファに座っている兄を睥睨した。 「何か勘違いしてない? 貴方はたまたま怪我をしたんじゃなくて、たまたま命が助かっただけなんだよ」 「オレが、あんな野郎にやられるって?」 「実際やられてる。兄さんも、ノエイ少佐も。………銃で撃たれたくせに」 相手の腕の方が2人より勝っていたと聞こえたのか、兄さんは反発した。 「素手だったらノエイだってオレだってそう簡単にやられない。相手が銃を武器にしたから撃たれたってだけだろ」 「そういうことを言ってるんじゃないんだよ。悪意ある暴力の前に無防備すぎるって言ってるんだ」 「オレのどこが無防備だって言うんだよ」 「その怪我がなによりの証拠でしょ。避けようと思えば避けられたはずだ」 「無事避けることが出来たから機械鎧が壊れたんじゃねぇか」 「回避できたはずだってこと。少佐はともかく、兄さんは撃たれずに済んだ筈だ」 「あのままアイツを見逃せばよかったって言うのか?」 「そうじゃないよ。じゃあ聞くけど、どうして少佐が撃たれて倒れていた時、無防備に駆け寄ったの。相手が銃を持っているのを知っていたのに。少佐の安否を確かめたかったのは分かるけど、本来なら警戒してまずは犯人の位置を確認するのが一番じゃないの」 「…………」 「素手で立ち向かったのはどうして。軍に情報が寄せられた時点で銃の携帯を指示された筈だよね?」 銃などの武器を持った凶悪犯に対峙する時は、例え生きた兵器と言われる国家錬金術師でも、戦場でもない限り銃の携帯を義務付けられている。兄さんは携帯していた筈だ 「少佐が負傷してるのを見て気が動転した? でも犯人相手に銃を使わなかったのは違うよね?」 「………なにが言いたいんだ」 「相手は至近距離から兄さんを撃とうとした。殺そうとしたんだよ。それなのに、そんなヤツにも銃を向ける気は起きなかったんだ?」 兄さんが目を眇める。 「そんな目で見てもダメだよ」 僕を威圧しようとしても無駄だ。 「……何なんだよ、さっきから」 「もちろん、責めてるんだよ。分かってるの? 殺されそうになったんだよ? 兄さんが死ななかったのなんて、紙一重だったんだ。少佐に駆け寄ったときに気配を感じなかったら、振り向かなかったら、間違いなく頭を打ち抜かれてた。
「兄さんが死んだら、僕も死ぬかもね」 膝を着いて同じ目の高さで兄さんを射た。
「………っ」 機械鎧の右手が、僕を殴ろうと振り下ろされる。激情もなく、冴え冴えとした思考のまま、左手で難なくブロックした。 「冗談を言ってるように見える? 本気だよ」 「死んだ人間を生き返らせることは出来ない。絶対だ」 「そんなの知ってる。 「……おまえ……!」 「命を持っていかれるまでやるよ。僕が死んだら兄さんのせいだ」 背凭れに手を着いて、兄さんに近づく。 「……立場が逆だったら、どうする?」 「え?」 「僕が死ぬ目に遭ったり怪我したり。 右手が掴んだクッションで横殴りされた。今度は避けず、甘んじて受ける。 肩で息をするように兄さんは胸を上下させた。 「……僕のことを、大事に思ってくれてる? 大切だって」 「あたりまえだろ!」 「じゃあ僕の気持ちも分かるよね」 手を伸ばすと、兄さんの躰がぴくりと動いた。ゆっくり引き寄せて、僕の腕の中へと導く。 しばらく無言のまま、ただお互いの吐息だけを聞いていた。 「アル……?」 胸元に声の振動が伝わる。体温と匂いを感じて切なくなり、更に強く抱きしめる。 「大切なんだ兄さんが。……誰よりも。何よりも」 「………ごめん」 「朝別れたきり二度と会えなくなってたかもしれないって思うと、居た堪れなくなる」 「うん」 「僕が大事なら、もうこんな無謀なことはしないで」 兄さんの右手が、そっと僕の背に回される。宥めるように、優しくポンポンと叩かれた。小さい頃、怖い夢を見たときに母さんがよくやってくれた所作だ。心臓の鼓動のようなその柔らかなリズムは、まるで魔法のように震える僕を癒してくれる。 兄さんが僕の胸の中で、静かに言った。 「 「………うん」 背中に回された熱を持たない機械鎧の右手の温もりを感じながら、無茶をしないでという僕の言葉が叶えられる事がないのを、僕は知っていた。 誰かや何かの為に、きっと兄さんはこれからも危険な場所に飛び込んでいく。 自分の願いが空しいのを知りながら、それでも願って、兄さんのこめかみに唇を寄せて囁いた。 「良かった。また兄さんをこの手に抱けて」
今度やったら、今度こそ僕の部屋に連れ込んで閉じ込めてやる。 叶わない願いを願う 3 |
テーマが見えないまま終わってしまいました orz