謹慎といっても、何もすることがない。
外出は出来ないし、もちろん仕事もない。反省文を書かされることもなく、ただ家に居る。
一日目は家中の掃除をして時間を潰したが、二日目に兄さんと自分の部屋のベッドメイキングをして洗濯をし終えたら、もうすることがなくなってしまった。
こういう時に限って、いつも遊びに来る猫も来ない。近所の犬を散歩させてもらおうかとも思ったが、そういえば外出できないのだと気付いて、重い溜息が出た。
こういう、謹慎っていうのは、食料品買出しのための外出も許してもらえないものなんだろうか? いままでしたことがないから分からない。
家の中にある本を読み直したりしてみたが、目が表面をなぞるだけで内容は全然頭に入ってこなかった。
本を読むのを早々に諦め、今度は庭へ出て草むしりを始める。
二日目でこれでは、先が思いやられる。謹慎の期間は言われなかった。いつまで続くんだろう? 処分が決まるまでだろうか? 反省文も書かせられないということは、クビかな。
アルフォンス・エルリック上等兵の兄がエドワード・エルリック少佐だということは、軍ではあまり知られていない。僕が喋らないせいもあるが、有名な国家錬金術師の弟が同じ軍で下級兵士をやっているとは思わないようで、周囲の人間はエルリック兄弟の弟のほうと同姓同名くらいの認識しかない。
僕が軍をクビになったことで、兄さんの名に傷がつくことがないといいな。
兄さんに会いたくて会いたくて何度もあの人の笑った顔や、声や仕草を反芻するけれど、同時にこの状況をどう説明しようかと考えて、頭が痛くなる。
僕が軍に入隊することを、そもそも反対していたのだ、兄は。
でも自分が軍に残ることをこの時点で決めていたから、強く反対したいのに出来なかったようだった。
今回僕がクビになったら、兄は喜ぶだろうか? ほっとする?
いや、「その男、どこのどいつだ!」と殴り込むかも。
あの人があの場にいたらどうしただろう? 僕のような態度を取っただろうか?
それともあの男を殴ったかな? 錬金術で男が乗っていた車をバラバラに分解したりして。
いろいろ兄さんがしそうなことを考えたが、もしかしたらどれもしないかもしれない。本当の土壇場になると意外と冷静だから、あの人は。
「アルー」
隣の家から6歳になる女の子が、庭のほうへひょっこり顔を出してきた。
「やあ、メル。こんにちは」
「どうしたの? きょう、かいしゃ、おやすみ?」
「そうだよ。無理矢理休まされちゃったんだ」
「なにしてるの?」
「草むしりだよ」
「メルも、おてつだいしていい?」
「いいよ、おいで」
ちょっとまっててね、と言って一度自分の家の中へ入り、大きく膨らませた赤いチェックのハンカチを片手に戻って来ると、僕の隣にちょこんとしゃがんだ。
「くさむしりしながら、おかし、たべよ」
「外で食べたりしてママに叱られない?」
「だいじょうぶ。ピクニックだもん」
広げたハンカチの中には手作りのクッキーが入っていた。クマの形をしたそれをみて、笑みが漏れた。
「ママが作ってくれたのかな?」
「うん。アル、てがドロでよごれてるから、メルがたべさせてあげるね。はい、あーん」
差し出されたクマのクッキーを、ちょっと照れくさく思いながらも食べさせてもらう。
「おいしい?」
「おいしいよ」
「ふーん」
メルは両脚を小さな手で抱え、じっとハンカチのクマを眺める。
「アルさぁ」
「なに?」
「げんき、ないね」
ここは「そんなことないよ」と言うべきなのに、とても6歳とは思えない鋭さに、つい黙ってしまった。これでは気落ちしていると認めているようなものだ。
「かいしゃ、くびになりそうなの?」
「……どこで覚えてくるの、そういうの」
「それとも、エドがいないから?」
どう答えようかとちょっと悩んだが、隠し事は無駄なような気がして、子供相手に素直に答える。
「そうだね。こういう辛いときに兄さんに会えないのは、こたえる」
「アルは、エドがすきなの?」
「好きだよ」
「すごく?」
「すごく。愛してる」
「きょうだいだから?」
「違うよ。love。恋してるんだ」
「エドのこと、ほしい?」
「ほしいよ」
「メルも、エドほしい」
「すごく好き?」
「うん」
「僕もすごく好きなんだ」
「ゆずらないよ」
「僕もゆずれないな」
怒るかと思いきや、メルはえへへと笑った。
「じゃあ、ライバルだね」
「……本当に、どこで覚えてくるの? そういう言葉」
「おとなりの、おねえちゃん。ほん、よんでくれるんだ」
メルの家の隣の「お姉ちゃん」は確か16、7歳の学生の女の子だ。いったい、どんな本を読んで聞かせているんだろう?
「アル、メルのこと、きらいになった?」
「なぜ? ならないよ」
「よかった」
嬉しそうに笑って、クマのクッキーを手に取る。
「はい、あーん」
これはおままごとの延長なんだろうか? 苦笑しながら小さな手から、僕はまたクッキーを口にした。
「おいしい?」
「うん」
「アル、げんきでた?」
「出たよ。ありがとう」
「メルね、アルもすきだよ」
「でも兄さんの方が好きなんだろう?」
「うん。エドのほうが、かいしょうあるし」
「甲斐性……それもお隣のお姉さんから聞いたの?」
「ううん、エド」
兄さんが? と聞くとメルはうん、と頷く。子供相手に何を言ってるんだ、あの人は。
「あのね、エドに、アルってしんちょうがたかくて、かっこいいよね、っていったら、オレのほうが『こうきゅうとり』で、かいしょうがあるぞ、って」
「メルは高給取りのほうがいい?」
「ううん。あいがあれば、びんぼうでもいい」
「……それは誰から教わったのかな」
「となりのおねえちゃん」
思わず吹き出して笑った。
僕が笑うとメルも嬉しそうに笑う。
「ねえ、アル。あのね」
僕の腕のシャツを引っ張って、秘め事のようにこっそり囁く。
「エド、はやくかえってくるといいね」
ひょっとして、慰めてくれたんだろうか?
うん、と頷きながら僕は小さな女の子に笑みを返し、頭を撫でた。泥がついた手で酷い、と文句を言われたが、慌ててごめんと謝ると、「うそだよ」とまた笑った。
隣家の女の子に慰めてもらったおかげで、少し気持ちが落ち着いてきた僕は、昼になる前に街へ出かけた。
謹慎中の身だから、一応目深に帽子を被り、サングラスをしてバスに乗る。
目的地についたら少し散策して周辺一帯を見渡せる場所を探し、ベンチがないので、他の人たちがやっているように膝の高さまでレンガを積み上げて造られた街頭花壇に腰を下ろした。
そのまま一時間ほど、道行く人を眺める。
息抜きのために近くの店でコーヒーを買ってきて、さらに一時間、その場所で人を待った。
しかしいくら待ってもその人物は現れない。
失望と共に重い溜息を吐いて、立ち上がる。腕時計で時間を確認した。この時間では、きっともう来ないだろう。
諦めて家に帰る前に、もう一度通りを見る。
寄り添って、手をつないで、同じ速度で歩いて。
あの2人は、もう散歩をするのをやめてしまったのだろうか?
外に出ることを、恐怖と感じてしまったのだろうか?
だとしたら、僕のせいだ。
もちろん、あの男のせいでもあるが、僕のせいでもある。
もうちょっと別な……なにか、2人が抱いた恐怖感を更に増長させるようなことのない、男が与えた恐怖を拭い取るような安堵を2人に感じさせる方法が、あったはずだ。
最初に2人に歩み寄って、こっちですよと道路の端へと手を引いても良かった。
自分の軽率さが悔やまれる。
あの2人の傷が深かったら……それが原因で家に篭らせるような事になってしまったら、どうすればいいだろう。
せっかくメルに癒してもらったこの胸の痛みを、また自分で深くする。
深くする結果になるかもしれないと分かっていたのに、ここに来て二人の姿を確かめられずにはいられなかった。
浮上し始めた気分は、また暗いところへ沈んでゆく。
帰りのバスの中で、盲目の老夫婦の事と、あの人のことを思った。
メルが家に遊びに来るきっかけを作ったのは、兄だった。
メルにはエミリという妹がいる。
母親が妹の世話にかかりきりだったために、家の庭で一人で寂しそうに地面をおもちゃのシャベルで掘っていたメルに、兄が声を掛けたのだ。オレも一緒に穴掘っていいか、と。
もし兄さんがメルと仲良くならなければ、入隊したばかりで自分のことに手一杯だった僕は、隣家の女の子と親しくなるきっかけなんか持てなくて、あんなふうに彼女に慰められることもなかった。
この場にいないのに、兄の存在が僕を包む。
会いたい。早く。
いつも以上に焦がれている。
兄さんが其処にいるだけで、胸の重みがなくなる。
あの人がいたから今の僕がある。あの人がいたから辛いことにも耐えられた。あの人が側にいれば、何度打ちのめされても、血を流してさえ、僕は立ち上がって前を向ける。
貴方に会いたい。触れたい。声が聞きたい。
あの人のことで頭が一杯になる。
兄さん。
本当に貴方の事を愛してるんだ。
貴方に会いたい。
T wish 2
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