なんとなくベッドで横になる気になれず、どうせぐっすり眠ることも出来ないのだからと毛布を持ち出し、ソファで相変わらず頭に入ってこない本を読みながら夜を明かした。
兄さんのベッドで寝ようか、なんてことも考えたが、ますます会いたい想いが募って辛くなるだけだし、イロイロと目が冴えそうなのでそれだけはやめることにした。
翌日、よせばいいのに、またあの場所へ行く。
帽子を被ってサングラスをして、昨日と同じように街頭花壇に座って、あの2人が現れるのを待つ。
昨日はたまたま散歩をしなかっただけなのだと思いたい。
今日、現れなかったら……僕はどうするつもりだろう? 謹慎の間、ずっとこうやって2人が現れるのを待つつもりだろうか?
どこの誰とも分からない。
それとも調べれば分かる? でも調べてどうすればいい? 僕は何をしたいんだろう?
「……アルフォンス?」
突然名前を呼ばれて、驚いて振り返る。
向こうも驚いたように何度も瞬いて僕を見ていた。
「なにやってんだよ、こんな所で」
「伍長こそ、なにしてるんですか」
立っていたのは、あの日僕と一緒に街を巡回した伍長だった。
「なにって、仕事だよ。巡回」
「ひとりで?」
「まさか」
親指で背後を指差す。そちらに目を向けると、軍服を着た女性が立っていた。見たことがない顔だ。新人かもしれない。
「どうして僕だって分かったんですか。一応、目立たないように変装してきたつもりなんですけど」
「目立たないようにぃ? 何言ってんだ、めちゃくちゃ目立ってるぞ」
これ以上ないくらい地味な格好をしてきたつもりだったんだけど。どの辺が目立つんだろう?
「それよりおまえ、こんなトコで何してんだよ」
謹慎中の身なのに、と顔を近づけてこそこそと声を潜める。なるほど、確かに謹慎中の身だから、背後にいる彼女に聞かれるのはまずい。僕も声を低くする。
「その、ちょっと用事があって……」
「用事? こんなトコで座ってるのが? 誰か待ってんのか?」
どう誤魔化そう、と少しだけ迷ったが、この人には隠さなくてもいいかと思い直した。
「実はあの時の、目が不自由だったご夫婦のことが気になって」
もしかしたらあれ以来、彼も同じことを思っていたのかもしれない。それだけで通じた。ああ、と言って頷いて、伍長は笑った。
「心配すんなって。あの2人ならひとつ向こうの通りを散歩してたぞ、仲良く手をつないで」
「えっ」
「ここの道路を通るのは止めたらしいけどな」
「いつですか、それ」
「ついさっき。まだ居ると思うぞ」
どうしようかと少し躊躇し、でもこの目で確かめたいと思った。
「すいません。ありがとうございます」
「いや、おまえに礼を言われるようなこと、何もしてないし。ってか、俺はなにも出来なかったし。 おまえを庇うこともできなかったしな」
そう言って、早く行けと促すように背中をポンと叩いてくれた。
「ちゃんと確認したら、今度は家で大人しくしてろよ。おまえ目立つんだから」
はい、と返事をして僕は彼が教えてくれた場所へと駆けた。
伍長が教えてくれた通りは、あの場所と違って車の往来が多いせいか、ちゃんと歩行者のための歩道が設備されている。
走る速度を緩めて、僕はその歩道をゆっくりと歩き出した。
仕事中の人や親子連れの人などとすれ違いながら、目的の人たちを見つけてサングラスを取る。
2人の手に握られた、白い杖。
もう片方で相手と手をつないぎ、身を寄せ合いながら、少しずつ進む。
お互いの顔は見ないで、耳だけを傾けて、穏やかに話をしながら 。
その光景を見て、胸の痞えが取れたというよりは、なんだか体の力が抜けてしまった。
2人は少しずつ僕に近づいてくる。僕もゆっくり2人に近づく。
すれ違うとき、僕は立ち止まって場所を譲った。気配で道を譲られたことが分かったのか、「すみません、ありがとう」と男性の方が微笑んで僕に挨拶をしてくれた。
いいえ、と返そうと思ったけど、僕の声はまた2人を怖がらせるかもしれないと思い、返事を飲み込んだ。
2人は少し覚束ない足取りのまま、しっかりと手を握り合って、歩いてゆく。
あの2人が、もう二度とあの男のような言葉の暴力に晒されませんように、攻撃されませんようにとこっそり願う。
そして怖い思いをさせてしまった僕の声も存在も、あの男の記憶と一緒に2人の中から消えてなくなりますように。
短慮で怯えさせてしまったことを謝れなくてすいませんと、胸の中で謝った。
家に帰り着いたら電話が鳴った。
兄からだろうかと思ったが、僕がこんな時間に家にいるとは知らないはずだから 軍? なんだか出たくないな。
「…はい」
「どこへ行っていたんだ、エルリック。謹慎中のはずだろう。何度も電話したんだぞ」
……やっぱり。
「申し訳ありません、少尉」
「どこへ外出していた」
「外出していません。バスルームの掃除をしていたので、電話に気付かなかったんです」
「一時間以上もか?」
「念入りにしていたので」
僕の嘘を見越した上で、しょうがないな、と少尉は電話の向こう側で溜息をついた。
「今日、午後になったら司令部に来るように。 処分が決定した」
「信用失墜行為で懲戒免職ですか?」
「来れば分かる」
「分かりました」
「謹慎処分を言い渡したときも思ったが、冷静だな」
「不当だと騒いだほうが良かったでしょうか?」
「いや。処分が軽くなるわけでもないし、どんな理由だろうと、先に手を出したのはおまえだし」
「そうですね」
「……達観するな」
少尉はまた溜息をついて、空気を切り替えるように厳しい声を出した。
「とにかく司令部に来るように。こちらの詰め所には顔を出さなくていい。まっすぐマスタング准将の執務室へ行け」
一瞬、聞き違いかと思った。
「マスタング准将?」
「そうだ」
「ロイ・マスタング准将ですか?」
「軍にマスタングという名の准将は一人だけだろう」
「待ってください、どうしてあの人が 」
「処分はマスタング准将の口から直接言い渡される。……あまり俺に突っ込むな」
「はあ」
間違いなく来いよ、と念を押されて電話は切れた。
「……なんで准将?」
首を傾げながら受話器を置く。
個人的な付き合いはあるが、軍ではまったく接触がない。携わっている仕事の内容が全然違うし、身分も違う。その准将がどうしてわざわざ一介の兵士の処分に関わってくるのだろう?
車を運転していたあの男の持っている権力のせいだろうか? つい邪心してしまう。
顛末を聞いて、呆れたかな?
帽子を脱いでその中に外したサングラスを入れ、棚に無造作に置く。
時計を見て、もう司令部に出かけようと思った。
これが最後の出勤になるかもしれない。
嫌なことや面倒なことはさっさと済ませて、あとは来週帰ってくる兄さんを、この家でひたすら待とう。
T wish 3
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