最初にキスしたのはいつだっけ?
なんとなく覚えているのは、五歳くらいの時……だったと思う。
確か誕生日の次の日だ。僕は母さんにプレゼントしてもらった絵本を夢中になって眺めてて、その間に兄さんがチョコレートのアイスを食べてしまった。
ちょうど兄さんが食べ終わった時にそれに気づいて、もう苺のアイスしか残っていないと知った僕は、
「にいちゃんのバカ。にいちゃんばっかりずるい」
ボロボロ涙をこぼして泣いた。
当時はまだ自分より体が小さくて弱々しかった弟を、わんわん泣かせた事に罪悪感を感じたらしい兄さんは、ちょっと困った顔をして、それからいいことを思いついたとでも云うように手をぽん、と叩いた。
「あじだけなら、はんぶんこできるぞ」
そう言って両手で僕の顔を仰向かせると、ちゅっとキスをしたのだ。
「どうだ?」
「……よく、わかんない」
「んじゃ、もっかい」
また僕の顔を仰向かせて、今度は舌を入れてきた。
ペロリと舌を舐められた時、甘いチョコの匂いと味がして、もっともっとそれを感じたくて、今度は僕の方からペロリと舐め返した。
それに応えるように、兄さんはもう一度僕の舌を舐めて、ぱっと離れる。
「どうだ?」
「あじした。もっと」
「もうだめ。これってちゅーっていうんだぞ。ホントはこいびとどうししか、やっちゃいけないんだぞ」
「きょうだいはダメなの?」
腕を組んでうーんと唸る兄さんを、意味もなくドキドキしながら見た。幼心にいけないことをしているような気がしたからだ。
不安げに見つめる視線に気づいた兄さんは、にかっ、と安心させるように笑って、僕を抱き寄せてくれた。
「ま、いっか。かあさんもちゅーしてくれるもんな。きょうだいでも、きっととくべつならいいんだよ」
母さんの真似をして、髪の毛や目尻や頬に、触れるだけのキスをしてくれる。
くすぐったくて、僕は身を捩って笑った。
いま考えると、覚えている最初のキスってのがそんなだったから、こんなにも『同性だから』とか『兄弟だから』っていうのに無頓着なのかな。
背徳感はある。
『世間』に対してではなく、『兄』に対して。
子供から思春期をすっ飛ばして、いきなり大人にならなければいけなかった、可哀想な兄。
自分の手足に頓着せず、僕の体だけを命がけで取り戻してくれた、たった一人の肉親。
取りあえず父さん生きてるけど。
究極の家族愛を示してくれた兄に対し、僕はといえば、兄さんを組み敷きたいとか引っ繰り返したいとかこういう顔をさせてみたいとか、イク時の顔を見てみたいとか、すごいトコにキスしてみたいとか。
兄さんへの想いが募りに募って、それにやりたいお年頃なのも加わり、申し訳ないくらい邪だ。
「兄さん。そろそろ起きないと朝ごはん食べる時間、なくなっちゃうよ」
そっと囁く。
もちろん、これじゃ起きない。
ぴくりとも動かず、静かな寝息を立てている。
起こすつもりなんかなかった。
このまま、寝過ごしてしまえばいい。
このバカ兄は今日、ハボック中尉と一緒に、女の子たちとドライブデートなのだ。『絶対連れて来てねって約束されられたんだ、頼むよ大将』と中尉に泣きつかれたそうだ。
「兄さーん……」
傍らに静かに腰を落とすと、キシ、と音を立てて僕の重みでベッドが沈む。真っ白な枕に朝日を弾く金糸が流れ、ゆるやかな線を描いて散っていた。
前髪を指先でつまんで、おでこのかわいい曲線を露わにする。
羽根のように軽く触れながら額から頬へと指を滑らせ、白い首筋をなぞると、ぴくと少しだけ体が揺れた。
「兄さん? 起きた?」
返事がないのに気をよくして、親指で唇をなぞる。やわらかさを確かめるように今度は人差し指で何度もつついて、その唇に顔を近づけた。
「起きないでね」
自分の唇で、その寝息に触れる。唇の熱を堪能して離れると、パジャマの間から覗く首筋と鎖骨に目が行った。いつもは唇へのキスだけで終わるけど、今日の僕は虫の居所が悪い。
「……幻滅されちゃえばいいんだ」
襟元のボタンを1つ外し、きれいな首筋に舌を這わせる。この肌を自由に出来たら、どんなにいいだろう。
いや、それよりも。
この肌を自由に出来る人間がいつか現れたら、僕はどうすればいいだろう。
自分の気持ちを吐き出すつもりは、いまのところない。せっかく手に入れたこの生活を失いたくないから。警戒されたり、逃げられたりしたくないし。
今のままだったら、兄さんは『兄弟』という絆で僕に甘えてくれる。僕だって、兄さんに甘えられる。
だけどもし、この人に『弟』以外の大切な人が出来たら、僕は自分の気持ちを伝えなかったことを悔やまないだろうか?
兄さんが身じろぎする。どうせ起きないだろうと高を括って、鎖骨を舐めるのに没頭する。首筋へと戻って、わざと見える場所を選び、強く吸った。
「……ん」
微かな呻きが少しだけ行為を煽る。白い肌に鮮やかに色づいたのに気を良くして、別の場所にも同じ赤い印をつける。4つも付ければ相手の女の子たちも幻滅してくれるかな?
兄さんに気づかれる可能性もあるけど、虫に刺されたみたいだね、で誤魔化そう。
喉元を辿って、顎を辿って、そのまま頤をペロリと舐めた。
行かせたくない。
このままベッドに縛り付けて、僕のものにしちゃいたいな。
「……………ア……ル……」
恐る恐る言ったような突然の呟きに驚いて、僕は弾かれるように兄さんから離れた。ベッドで熟睡してたハズの人が困ったように真っ赤になりながら、こっちを見上げてる。僕は軽いパニックに陥った。
「兄さ……いつから起きてたの!?」
うわっ。鎖骨舐めてた時じゃありませんように。
「………さ、鎖骨、あたり……」
が ん…。
いいわけ。なにかいいわけ考えなくちゃ。
何かこう、筋が通るようなもの。変に思われないようなものを。
でも何も思いつかない。というか、何かうまく説明がつく言葉なんて、あるのか?
兄さんの首筋に目がいった。赤く咲く、4つの痣。僕のものだという印。
あの肌に唇を寄せて舌を這わせ、吸い上げたのを兄さんに知られたと思ったら、急に羞恥が沸いてきた。
うわ、どうしよう。大赤面。自分でも赤くなるのが分かる。
「兄さん、……あの」
言いかけたけど、次に出てくる言葉はない。
何て言う?
痕付けてごめんね?
つい欲情しちゃった?
どこにもいかないで?
僕だけのものでいてよ?
だまって僕に独占されてて?
どれも兄さんに直接なんて言えないものばっかりだ。それともこの想いをいっそ全部吐き出してしまえば、受け入れてもらえなくてもこんな言葉を気軽に口に出すことが出来るかな。
兄さんは困った様子で、まだ赤い顔をしている。
かわいいな、と思いつつも同時にイラっとした感情も沸いてくる。
人の気も知らないで、女の子とデート。
やっと鎧の体じゃなくなって兄さんに触れるようになったのに。体温を感じられるようになったのに。まだ1年足らずなのに。もっと僕だけのもでいてくれてもいいじゃないか。
『ただ会うだけだよ。若い国家錬金術師ってのが珍しいんだろ。オレが女の子にモテるわけねーじゃん』
自分の事を知らなさ過ぎなんだ兄さんは。どんなに人目を惹きつけるのかとか、どんなに皆近づきたいと思ってるのかとか。
ああ、ますます腹立たしくなってきた。
僕は乱暴に兄さんの胸倉を掴み上げると、首にガブリと噛みついた。
「いって っ!」
びっくりした兄さんが、じたばたと暴れる。そのままもう一度舐めてやろうかと思ったけど、さすがにそれはやめて唇を離すと、ぽいっとベッドに放る。
「朝だよ。今日は早く出掛けるんでしょ。なんてったって女の子とデートだもんね。さっさと起きて支度したら? もし泊まるようなら、忘れないで電話寄越してよね。絶対に女の子を持って帰って来たりしないように」
「アル、おま…っ」
言うだけ言って、さっさと部屋を出た。強めにドアを閉めて、兄さんの反論を塞ぐ。
兄さんに限ってそんなことは絶対ないとは思うけど、もし持って帰ってきたり一泊してきたりしたら、どうしてくれよう。
考えるだけで業腹だ。
自分の想いを伝える気はなかったけど、やっぱり誰かに取られるのは我慢できない。あの人の傍にいるのはいつも僕でありたいし、キスしたり、抱きしめたり、その肌に触ったり……。
「そうか…」
このままではいられないのか、誰にも渡したくないのなら。
兄さんももう18歳。彼女とか欲しいだろうし、えっちもしたいハズ。もう少しこのままでいたいなんてのんびり構えてたら、誰かに持って行かれてしまう。
僕はもっと兄さんに触れたいし、もっともっとキスしたい。
何に対しても淡白な方だけど、あの人に対してだけは自分でも厭きれるほど執着心が強い。
枯れる事を知らない泉のように、あとからあとから湧き出てくる。
もっと視線を交わしたい。もっと髪にさわりたい。指に触れて頬に触れて首筋に触れて体を辿って 誰も知らないその深奥を暴きたい。
誰にも取られたくないなら、こっちを向かせるしかないな。
僕だけを見て僕だけを欲してくれるように。
あの人が応えてくれるかどうかは分からないけど。
………とりあえず問題なのは、今日のデートだ。
無自覚なあの人のことだ。これからも、こんな事がよくあるかもしれない。
頭痛いな……。
もっと、いっぱい
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