「たっだいまぁ〜」
玄関のドアを開けたエドワードは、唖然とする。
軍内では冷静沈着だなんて言われている弟が、突然べろんべろんに酔っ払って帰ってきた。
倒れ込むように寄りかかってきた弟の体を抱きとめ、エドワードはリビングに連れて行くとソファに座らせた。
冷たい水を手渡すと美味しそうにグラスの中の水を飲み干し、はあ、と息を吐く。
酔っ払いってなんでこうも美味しそうに水を飲むんだろう、無味無臭なのに、と自分のことは棚に上げてその様子を眺めた。
「もう一杯飲むか?」
「んーん、もういー」
「メシは? もう夜中だけど」
「いんなーい」
呂律が回っておらず、注意して聞かないと何を言っているのか分からない。アルコールにはかなり強い筈のアルフォンスが、ここまで酔うのは本当に珍しかった。たまには羽目を外したくなったんだろうか?
「で、どうしたんだ、今日は」
「んー、あのねえ、今月の初めに、南地区になんかおいしい地ビールのお店が出来たって、少尉が…あー、准尉だっけ…?」
「いいよ、どっちでも」
「そのね、どっちでもいい人に聞いて、今日は仕事がはやく終わったし、みんなで飲みに行こうぜーってことになったんだぁ」
一人でくすくす笑って、ソファに置いてあるクッションを抱きかかえると、ころんと横になり、目を閉じようとする。
「アル。ここで寝るな。部屋行こう、ほら」
「んー」
クッションを取上げてアルフォンスの体を仰向にさせると、上着の下のシャツに手を伸ばし、襟元のボタンを外して楽にさせてやる。
「取りあえず上着脱げよ。一人で脱げるか?」
「やだなあ、兄さんったら、脱げだなんてー。ふふふ」
「脱がしてやるからちょっと協力しろ。ほら、起きて」
「いやー」
「服着たまま寝たら疲れ取れないだろ。体が痛くなるぞ。部屋に行って、パジャマに着替えような。オレが手伝ってやるから」
「兄さん、優しーっ」
「オレはいつでも優しい」
「怒るかと思った」
「怒んねえよ。頻繁だったら怒るけどな」
とにかくまずは上着を脱がせようとしたが、アルフォンスが非協力的なので出来ない。エドワードは溜息をついて、まずは少し酔いを醒まさせようと思った。
キッチンへ行ってもう一度コップに冷たい水を、それと今度は濡らしたタオルを手にして戻ると、頭を少し起こしてやって水を飲ませ、またソファに横になったアルフォンスの額にタオルを乗せてやった。
「あー、…すごーく気持ちいー…」
「そうですか」
「ぼく、街で見かける酔っ払いみたいだねえ」
「立派な酔っ払いだよ」
「怒った?」
「怒ってません」
エドワードは、額に乗せたタオルのせいで湿ってしまった短い金の髪を、指先でかきあげてやる。
「で、地ビールはうまかったか?」
「味よく覚えてなーい」
「飲み会は楽しかったか?」
「楽しかったけど、イマイチだった〜」
「どっちだよ」
温くなったタオルをもう一度洗って冷やしてこようとして額に手を伸ばしたら、アルフォンスがふいにその手を掴んできた。
「なんだ?」
「…ちょっと……そこに座って…」
寝転んでいるアルフォンスの顔が良く見えるように、エドワードは床の上に座る。
「兄さんさあ、僕に、隠し事とか、してなぁい?」
「いっぱいあるから、一つに絞れねえな」
「なにそれ。酷いなぁ」
アルフォンスは、またくすくすと笑う。
なんとなく、エドワードは分かってしまった。何故アルフォンスがこんなに酔ったのか。
「兄さんさぁ…、あ、今日ね、飲み会があって、地ビールが……」
「もう聞いたよ」
「そうだっけ…? それでね、その飲み会でぇ、兄さんの話が出たの」
エドワードは静かにアルフォンスを見る。
「兄さんさぁ、結婚、するんだって?」
「……アル」
「相手はぁ、イイトコのお嬢さんなんだってねえ」
「なに聞いたかしんねえけど、結婚なんてしねえよ」
「紹介した中将が、すっごい乗り気で、いま教会探してるんだってー」
「デマだ」
「デマじゃないよー。一緒に飲みに行った人が、今日、中将本人に直接聞いたんだから」
エドワードは黙る。弟はそんな兄の手を、弱々しい力でぎゅっと握った。
「………先週の土曜日、兄さんずいぶんと帰りが遅かったけど、その女の人と会ってたんだね」
「……アル」
「中将は兄さんの直接の上司だし、断れないんじゃないかって皆言ってた。宮仕えは大変だねえ」
「アル」
「でね、みんなで賭けしようってことになったんだ〜。鋼の錬金術師殿は、そのイイトコのお嬢さんと結婚するのか、しないのか。みーんな結婚するに賭けるんだよ。結婚しない、に賭けたのは、2人だけでぇ」
「……おまえはどっちに賭けたんだ」
「ふふふ。どっちだと思う?」
「当然『しない』だろ?」
「ざーんねーん」
「まさか結婚するに賭けたのか」
「僕はねえ、どっちにも、賭けられなかったんだぁ」
「なんでだよ」
「なんでかなあ。……僕ねえ、あなたを引き止める自信、ないんだ。だからかなぁ」
「なんでないんだよ。こんなにイイ男なのに」
「ええ? イイ男かなぁ? ふふ、嬉しいなぁ」
一頻りくすくす笑った後、アルフォンスは口を噤む。リビングに沈黙が落ちた。しん、と静まり返って、衣擦れの音もしない。遠くで犬が吠える声が聞こえてきた。
長い間黙っていたアルフォンスが、口を開く。
「相手の人、どんな人? 素敵な人?」
「アル。オレはちゃんと断ったよ」
手を握ったまま、アルフォンスはじっとエドワードを見ている。
「中将に、シン国の要人とこれからセントラルのホテルで密会をするから、正装して護衛につくように言われたんだ。向こうは中将の友人だっていう父親と2人でホテルに来てた。席に着いてから初めて知らされたんだ。そのあと2人だけにさせられて、向こうの女性も父親に騙されて連れて来られただけだって聞いた」
「……なんで……なんで僕には黙ってたの」
「おまえに嫌な思いをさせたくねえからだよ。中将はなんとかまとめようと一人で盛り上がってるみてぇだが、オレはちゃんと中将に断った。相手の女性にも、ちゃんと言った」
「なんて?」
「好きな人がいるって」
「……その、好きな人って、だれ?」
「当然アルだろ」
「それ、本当?」
「知ってるだろ?」
「じゃあさ、今ここで、僕の目の前で服を脱いでみせてよ」
アルフォンスは起き上がって、エドワードを見た。
「証明して見せて。服を脱いで裸になって、僕のこと誘ってよ。抱いて、って」
エドワードはアルフォンスに掴まれていた手を解く。肌色の左手と鈍色の右手で、迷い無く服を脱ぐ。シャツのボタンを全部外して肩から滑らせ、全裸になってアルフォンスを見た。
「アル。抱いて」
まるでどこかが痛むようにアルフォンスは顔を歪める。
上着を脱ぐと裸体を隠すようにそれをエドワードの肩に掛けた。そしてエドワードの背がしなるくらい、強く抱きしめる。
「……ごめんなさい」
「なんで謝るんだ」
「ごめん。ごめんなさい」
アル、と囁き、背中に手を回して自分より大きな体を抱き返した。
「繋ぎとめておく自信が、本当に無いんだ。……こんなにあなたのことが好きなのに、あなたのこと、不幸にしてる気がする。兄さんがよく、オレなんかよりも可愛い女の子との方が家族を増やせるし幸せになれるって僕に言うけど……それ聞くたびに、何言ってるんだよ、って思うけど……」
「おまえも今回は同じことを思ったのか?」
弟は答えず、エドワードの頬に自分の頬を押し当てた。
背中から手を伸ばし、短い髪を何度も撫でてやる。
「オレだっておまえを繋ぎとめておく自信なんかないよ、アル」
「……なんで?」
「おまえと同じだよ。分かってるだろう?」
「僕の気持ちは揺るいだりしない。……こんなに好きなのに」
「オレだって同じだよ。……でも、いつだって、不安なんだ」
相手を思えば思うほど、好きになればなるほど、不安が募る。距離は縮まったはずなのに、その距離が遠くなることが恐ろしくなる。この世に永遠というものが存在しないから、存在しないとよく知っているから、だからこそ些細なことでも相手を信じきれずにこんなに揺らいでしまうのか。
信じたいのに、『もしかしたら』という思いが胸を重くする。絶望を心に呼ぶ。
アルフォンスはゆっくり離れた。エドワードが脱ぎ捨てた服を拾って、それを再び着せようとする。
「抱かねえのか?」
「……酔っ払ってるから」
自分が被せた上着を脱がせてシャツを着せようとしたのだが、うまくボタンが留められないようだった。
「ごめん、兄さん。着せてあげようと思ったんだけど、ホントに酔っててうまく出来ないや」
エドワードは笑った。
「自分で着るからいいよ」
「兄さん」
「うん」
「抱かないけど……今夜は一緒に寝てもいい?」
「うん」
「あなたの胸で、甘えさせて」
「いいよ」
エドワードは服を着ると、顔を傾けてアルフォンスの赤くなっている目元にそっと唇を寄せる。
反対側の目元にもキスをして、アルフォンスを抱きしめた。
「一晩中甘えさせてやるから、部屋に行こう? な?」
「……うん」
ふらつく弟の体を支えるようにして立ち上がらせると、アルフォンスは肩を抱いてきた。エドワードはまた笑って、アルフォンスの腰に手を回し、寄り添う。
離れないようにお互いを抱きしめあって、2人はエドワードの部屋へと向かった。
脆い人間の絆を、兄弟という関係を越えて、今夜2人はまたそれを少しだけ強くする。
存在しない永遠を紡ぐ
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