くそう、どっちだ。
穴が開くかと思うほど凝視しても透視はできないし、違いもわからない。
こんなことならさっき手元に回ってきたときに、こっそりマークでも付けてりゃよかった。
「早くしろよ、エド」
同僚がニヤニヤ笑って抜くのを促す。
いくら悩んでも結果は一つ。右か、左か。
手を伸ばして右に触ってみたが、同僚は表情を変えない。左に触ってみたら、わざとらしく目を見開いて見せた。わからない。右なのか、左なのか。
「ええい、グダグダいつまでも悩んでられっか!」
オレは勢いよく左側のカードを引き抜いた。
そもそもなんでこういうことになったんだ。仕事が終わったんだから、さっさと帰りゃよかったのに。
今日は職場で打ち上げをやるから遅くなるってアルが言ってたから、んじゃあオレものんびり帰るかな、とダラダラして、ついバカらしい遊びを始め、うっかり負けちまったからか。
もう夜も九時を過ぎているが、二十四時間営業の司令部内には昼間程ではないもののそれなりに人が残っている。廊下をすれ違う人皆が驚いたような顔をしてオレを振り向き、この格好を見て笑った。
オレは堂々と司令部内を闊歩する。
笑いたきゃ笑え。そんなの屁でもねえ。
胸を張って、司令部を一周してくるという罰ゲームをこうしてやっているが、階段の踊り場にある大きな鏡の前では、さすがに自分の姿から目を逸らした。
髪はツインテール、唇の中央部分だけにちょこっと塗られた真っ赤な口紅、両瞼にはマジックで睫毛がデカデカと描かれ、頬骨のところにはやっぱりマジックで、小さくぐるぐると渦巻きが描かれていた。せっかく私服に着替えていたのに軍服のほうが面白いからと言って、軍服姿で歩かされている。誰だ、こんな罰ゲーム思いついたの。
鏡から顔を逸らし、くっそー、と思わず呟いてから我に返る。いやいや、オレは堂々とこの罰ゲームを受けているんだ。こんな恰好をさせられても、毅然としていれば男らしさが滲み出るはず。
口元を引き結び、でも若干早足になりながら、オレは司令部を半周した。残りあと半分。さっさと済ませよう。
くすくす聞こえてくる笑い声の中を颯爽と歩き続け、司令部の深部に差し掛かる。この辺は重要会議をする部屋や将官の執務室が多い。大総統府があるからだ。人通りは殆どなくなり、こんな時間ともなると、しんと静まっている。
マスタング少将執務室はというと、ここから一番離れた場所にあった。これからこの国の主軸となる予定の人間なのに、口うるさくて頭の固いジジイどもの近くで機嫌取りをしながら仕事なんかしてられるかと、自ら不便な場所を選んだらしい。
ヤツの判断を今日は本気で褒めてやりたい。
こんな恰好を――男らしくやっているとはいえ、マスタング組の人間には見られたくない。特にアルフォンスには。
そんなことを考えていたからなのか、角を曲がったら、一番会いたくないといま思っていた人物にばったりと出会ってしまった。
出会い頭にぶつかりそうになったせいか、最初はお互いに気付かなかったが、あ、すいません、と言い合って相手を見て、はじめて今ぶつかりそうになったのが誰なのかを知る。
アルフォンスは目を大きく見開き、唖然としたのかオレの顔をしばし無言で凝視した。そしてオレもでっかく目を見開いて、口もあんぐり開けて、アルフォンスの全身を上から下まで眺めた。なんじゃこりゃ !?
「……なにやってんの、兄さん」
オレのほうこそ聞きたい。
「オレはババ抜きで負けて……」
「それでペナルティゲーム? あーあ、こんな恰好させられちゃって。この顔の落書き、酷いなー」
アルフォンスは両手でオレの顔に触れて持ち上げると、親指で頬の渦巻きを軽く擦る。
「とても国軍少佐とは思えない」
「その言葉そっくり返す! おまえこそ何やってんだよ !?」
オレは再びアルフォンスの全身を見る。黒い軍支給のコートの襟元から鎖骨が見える。足元は、やっぱりコートから素足が覗いてて、素足のまま靴を履いていた。
「ああ、これ? カードゲームで負けて」
言って、にっこり微笑む。
「僕もペナルティゲーム実行中」
アルフォンスは素肌に直接コートを着ていた。
この格好でマスタング執務室からここまで歩いてきたのか? こんなところまで?
「なにやってんだよおまえ」
「なにって、だからペナルティゲーム」
「いくらなんでも裸コートはないだろ! 断れよ!」
「兄さんだって断らないでやってるじゃないか」
「オレのとは事情が違う! おまえのは犯罪だろ、国軍少佐のくせ――」
突然アルフォンスの手で口を塞がれた。もう片方の手で人差指を立て、しー、と囁く。大人しく黙ると遠くから足音が聞こえてきた。段々近づいてくる足音は重々しくゆったりしていて、この場所を考慮すると上官っぽい。この辺に執務室があるどこかの将軍だろうか?
この格好を見られるのはさすがにヤバい。アルフォンスはこっち、とオレの手を引いた。
連れて行かれたのはどこかの会議室だった。長いテーブルに椅子がズラリと並んでいる。オレは入ったことがないが、重要な会議が行われる場所だというのは分かった。壁に大きな大総統紋章が織られている布が掛けられている。軍上層部が使う会議室か。
ドアを閉める音を聞いて、背後を振り返ると、アルフォンスが立っていた。改めて見ても異様だ。オレの自慢のイケメン弟が、何が悲しくてこんな変態チックな格好に……! まあ今のオレの恰好も人のこと言えねえが。
「どんなゲームやって、誰に負けたんだよ」
「ブレダ中尉とブリッジをやって負けた」
いい線までいったんだけどなあ、なんて肩を竦める。そんな仕草もカッコイイ、なんて身内の欲目か惚れた弱みで思ったりして、その考えを振りきるために頭を振った。裸コートじゃねえかよ、惑わされるなオレ。
アルフォンスは部屋の隅に置いてある小さな机のところに行くと、花が飾ってある花瓶の後ろから何かを取りだして戻ってきた。
「なんだ?」
手の中を覗きこんだら、小さな犬のぬいぐるみだった。
「この格好でこのぬいぐるみを取ってくるようにっていうのがミッションなんだ」
そう言ってコートのポケットに犬のぬいぐるみをしまう。今日職場で打ち上げをやると言ってたから、これはその余興なのか? 誰だ、こんなの考え付いたの。
マスタング執務室で働いている連中の顔を思い浮かべ、ハボック中尉だな、と断じる。
「そのコートの下、ホントに何も着てねえのか? ……ぱんつも?」
コートのボタンを全て外し、両手で開いて無言で答える。すっぽんぽんだった。
「わざわざ見せなくていい」
「見たいかなと思って」
「見たくねえよ、そんな見慣れたもん」
「見慣れてるの? ふうん」
「いいから早くしまえ」
こんな、重々しいというか堅苦しい場所で裸のアルだなんて非現実的で落ち着かない。なんとなく目を逸らして、ペナルティゲームに戻るべくアルフォンスの脇を通り過ぎようとした。
すれ違う寸前、アルフォンスは突然コートの右側を開く。驚く間もなく抱き込まれ、コートに包まれた。
「なっ」
離れようとしたらそれを阻止するように、強く抱きしめてくる。コートの中に入れられたせいで、思うように抵抗できない。
「はなせ、この」
「なんで。いいでしょ、見慣れちゃってる裸なんだし、触り慣れてる裸だし」
触り慣れてなんかいねえ、なんて言ったら墓穴を掘りそうだから喉元まで出かかった言葉を飲み込み、なんとか離れようとじたばたしたが、抵抗しようとすればするほどアルフォンスの腕は強くなる。ちくしょー、生まれた時はオレよりちっちゃかったくせに! オレより非力だったくせに!
アルフォンスの裸の胸がオレの頬に押しつけられる。滑らかな感触とアルフォンスの匂いを感じて、一気に二人で過ごす夜のことを思い出してしまい、オレは赤くなった。なんとか抵抗しようと暫く身を捩ったが、どう頑張ってもこの腕の中から逃れられないと知り、ようやく暴れるのをやめる。オレが暴れるのをやめたら、コートごと強く包んでいた手が少し弛んだ。
暴れずにじっとしていると、さらに腕の力が緩む。
アルフォンスの手がコートの中に入り込み、オレのうなじを指先でそっと撫でた。
「どうしたの赤くなって。僕の裸なんて慣れてるんじゃなかったっけ?」
そのまま指先を背中へと滑らせる。制服の上から触れるだけだから殆ど感覚はわからないのに、オレは条件反射のように思わず体を震わせた。
「……抱かれてる時のこと思い出した?」
イヤラシイことをしてる時に聞く声音で囁かれ、ぞくりと背中に電気のようなものが奔ってまた体が震える。
「兄さん、ペナルティ・ゲームはまだまだ時間がかかるの?」
「もう、ちょっとで……」
「もうちょっとで終わる? じゃあ僕と一緒だね」
ようやくオレを解放すると、顎を掴んで顔を上向かせる。そして顔を見て軽く、ぷっと吹き出し、口元に笑みを浮かべながらオレの渦巻きが描かれた頬に、ちゅっとキスをした。
「ロッカーで待ち合わせして、一緒に帰ろう? 家に着いたら――」
オレの耳に唇をくっつけ、ひと舐めしてから低い声で言った。
「――抱いてあげるから」
顔が熱い。体も。体温が上がる。
「……ざけんな、そう簡単に思い通りになると思うなよ」
体は求めるのに、オレは強がる。アルフォンスはまた笑って、今度は反対側の頬の渦巻きにキスをしてきた。
「早く終わらせてきてね。待ってる」
ちゃんと元通りにしてくるんだよ、と言って自分は開いていたコートのボタンを元通りにし、手を挙げて先にこの会議室を出て行った。
元通り――この髪型とメイクのことか。
くそー、くそー、くそー、おまえなんか裸コートのくせに。裸コートのくせに余裕かましやがって。変態の恰好してるくせに。変質者の恰好してるくせに。
あんな変質者の恰好をしてるヤツに赤くなるなんて。だっ、だいて、あげるから、なんて言われるなんて。まるでオレがそれを望んでるみたいじゃねえか。あんな恰好してるヤツに。
赤くなった頬をもとの色に戻そうとごしごし擦り、余計赤くしてオレもこの会議室を出る。
ゲームを始めた当初の「男らしく堂々と」なんてのはすっとび、オレは足早に戻った。
別に、アルがロッカーで待ってるから早足で戻ってるんじゃないからな。急いでいるんじゃないからな。
くそー、くそー、と胸の中で毒づきながら、このメイク、手っ取り早くシャワーで洗い流せるだろうか? 向こうは服を着るだけだから、待たせちまうことになるな、なんてオレは頭の隅で考えていた。
負けるもんか
|