「兄さん。…抱いてもいい?」
ソファに横になって本を読んでいたら、当番の家事を終えたアルフォンスが、静かにのし掛かってきて服の上から体を撫でた。
「って、ちょっと待て!」
「ここが嫌なら、ベッドに行こう?」
「違う、そうじゃなくて……」
「なに?」
「脚の付け根付近にできものが出来て痛ぇんだよ。だから治るまでダメ」
「できもの?」
「いや、正確にはできものっつーか、炎症を起こしてるっていうか」
「見せてみて」
「嫌だ」
その言葉を無視し、アルフォンスは兄に背中を向けて腹部に跨って座ると、ベルトを外して脱がせにかかる。
「うわっ、何しやがる! ぎゃーっ!!」
膝まで下げてトランクスを脚の付け根までめくり上げ、太腿を見た。患部を見て、眉を寄せる。
「なにこれ。酷い。よく平気で放置できるね。痛くないの」
その場所は膿が溜まっているのかパンパンに腫れ、結構な範囲で赤黒くなっていた。
「痛いに決まってんだろ。だから今日はダメ」
「どうしたの、いったい」
「何か虫に刺されたんだと思うけど、その時ちょっと体調悪くしててよ。どうやら治癒力が全部、体調回復にいったみてえなんだ。白血球に放置されちまったせいか、気がついたらポツンと赤かっただけなのに、こうなってた」
「……病院行きだよこれ。どうみても」
「そのうち治るって」
「痛いの我慢するの?」
「さっき市販の痛み止め飲んだ。触ったりしなきゃ痛くねえ」
「明日病院に行ってよ」
「これくらいで?」
「もう『これくらい』じゃないよ、ここまで悪化したら」
アルフォンスは衣服を元通りにすると体の上から降りて、エドワードの髪を撫でた。
「僕のためにも明日病院に行って、治してよ」
「なんでおまえのためなんだよ?」
「セックスできない」
エドワードは起き上がると、弟の額を左手で叩いた。
病院なんかに虫刺されくらいで行くつもりはなかった。しかし翌日の夜、深夜に傷が痛んで痛んで脂汗をかきながら痛み止めを飲んだが効かず、歩くのもままならなくなった。微熱も出て、エドワードはとうとう諦めて病院へ行くことにした。
最初は民間の病院に行くつもりだったのだが、遠大な待ち時間を考えて、中央司令部の保健管理局に行くことにした。
脚を引きずってなんとか歩くエドワードの後ろには、何故がアルフォンスがついてきた。
「一人で歩けるから平気だってーの」
「それだけの問題じゃないんだよ」
エドワードがよろけて壁に手をつく。アルフォンスは少し身を屈めると、兄の両膝の裏を掬い上げた。
「うわっ、ちょ」
「痛いんでしょ。大人しくしてて」
エドワードの嫌いな横抱きにして、アルフォンスが廊下を歩いていく。傷を慮って縦抱きではないのだろう。エドワードもいつもなら降ろせと抵抗するところだが、脚の痛みが本当に酷くて歩くのも辛かったので、ここは大人しく弟に抱かれた。
しかし周囲の視線を感じながらやっと辿り着いた第3保健管理局のドアは鍵がかけられ、無情にも「出張中」の札が下げられていた。
「……仕方ないな。第2保健管理局に行こう」
「はあ? なに言ってんだ、第1保健管理局だろ」
「ダメ。第2」
「あそこは女医だろ。オレに、女医に向かって脚広げろって言うのか」
「第1はダメだ。男の医者だから」
「第3のアイツだって男だろうが」
「先生は特別。でも第1はダメだ」
「なんでだよっ」
「とにかくダメ。ここまで悪化させといて、もう兄さんに決定権はないよ」
「オレの体だぞ?」
「僕の体でもある」
その言葉にぱっと赤くなり、どう返していいか悩む。悩んでいる間に踵を返したアルフォンスがエドワードを第2管理局に連れて行った。
「……これは切開しないとダメだわ」
「切開? んな大袈裟な…」
「たかが虫さされをここまで悪化させたのは誰。ん? 言ってみな?」
「……」
第2保健管理局の女医ソレイユ先生は、鎖のついた眼鏡を指先で押し上げながら言った。幸い下着を脱げとは言われなかったが、トランクスの裾を捲り上げられ、ちょっと情け無く思っていると、患部を見た医師が言った。
「さ、兄貴も納得したことだし、さっそくやってみよーか。弟。そこの脚、押さえといて」
「はい」
歩けないほど痛む患部に、麻酔とはいえ針を刺すのだ。かなりの痛みが襲ってくる。アルフォンスに脚を動かさないように押さえられ、声もなく痛みを我慢していると、注入された麻酔がさっそく効いてきたのか、痛みが急速に和らいでゆく。
「よし。じゃあ切るよ。あ、見てる?」
「……見ねえよ」
「まあそれがいいか。貧血起こして倒れる人もいるし。ちょっと寝てな」
ベッドに横になっているうちに、処置は進む。
「うわー、ほら、これが痛みの原因だよ。すごい血膿。よくここまで溜め込んだね兄貴」
「好きで溜め込んだんじゃねえや」
アルフォンスが心配そうに寝ているエドワードの顔を覗き込んでくる。
「兄さん、大丈夫?」
「あー。麻酔効いてるから、朝より平気。痛みを感じないって幸せなことだな」
「そんなことを口にするくらい、悪化させないでよね」
「……反省シテマス」
切開した傷にすべての膿を集めるよう脚を搾られ、ガーゼをあてたその上からさらに大きなガーゼをあてて、テープで留める。
「終わったよ兄貴」
医師の言葉にほっとして起き上がる。
「明日、また来なね」
「え? もう終わったんだろ?」
「切開したのに、一日で終わるか。膿もまだだいぶ残ってるし。抗生物質処方するから、絶対に忘れないで飲むんだよ。あと痛み止め。あ、シャワーは当分ダメだからね」
はいはい、とエドワードはおざなりに返事をした。もう切開したのだから、簡単に治ると思ったのだ。 この時は。
「…兄さん」
リビングのソファで本を読んでいたら、隣に座ったアルフォンスが手を伸ばしてきて体を抱き寄せ、意味ありげな声音で耳元に囁いてきた。
「まだ治んないの、脚」
「治んねえよ。全然」
「……抱きたいな」
「だめ」
「まだそんなに酷い状態なの?」
「酷ぇよ。毎日点滴通いだ。ガーゼも入れたまんまだし」
市販の薬と違って、医師から処方された痛み止めはさすがによく効いた。しかし抗生物質の方はなかなか効果をあげず、24時間効果が持続するという点滴を受ける羽目になっていた。
「ガーゼ?」
「患部にガーゼを入れたまんまにしてるんだよ。例の切開したところ」
「ああ。膿をガーゼに吸わせるために?」
「そう。それと、全部出ないうちに傷口が塞がらないように」
「痛くないの」
「痛えよ。痛み止めのおかげで歩けるし日常生活に支障はないけど、さすがに患部は触れねえ」
「……抱いちゃだめ?」
「だからダメだってーの」
「もう何日も営みが無いんですが」
「ダメ」
「どのくらいで治る?」
「さあな。もしこのままよくならなかったら、膝の部分も切開して、そこからまたガーゼを入れるかも」
「そんなに拗れてるの?」
「ああ。膝から上全体に膿が広がってたからな。なかなか頑固で取り出せない。もっとメシ食えって言われたよ」
「あんなに食べてもまだ足りないんだ」
「今回は足りねえみたいだな。食っても食っても体重が面白いように減っていく」
「いったい、どれだけ悪化させたんだよ」
「ホントにな」
「……他人事のように、言わないで欲しい。もっと大事にしてよ、僕の体なのに」
「オレの体だ」
「僕の」
アルフォンスはエドワードの手から本を取り上げると傍らに置き、ぎゅっと体を抱きしめてきた。
「離れろよ」
「なんで?」
「オレ、切開してから風呂入ってねえ。……一応、体は拭いてるけど」
「平気」
アルフォンスは笑って腕を緩めると、首筋を舐めてキスをした。エドワードの体が震える。
「兄さんの体も、僕が欲しいって言ってるよ……」
「……挑発したくせに、なに言ってやがる」
両手を突っ張って離れようとしたが、アルフォンスが離そうとしない。舌を出して顎を舐め、唇に食むようなキスをしてきた。静かに何度も繰り返す。エドワードの体が、また震えた。
「なん……だよ……」
「いつになったら抱ける?」
「まだ当分無理だ。……口で、してやろうか?」
アルフォンスの目が大きく見開かれる。
「言っとくけど、ヘタクソでも文句言うなよ」
言わないよ、と小さく笑う。
「気持ちは嬉しいけど、僕はしてもらいたいんじゃなくて、抱きたいの。……肌に触りたい。あなたの喘ぐところが見たい。乱れるところが見たい」
「……アル。おまえはどうしてそう、オレを絶句させるようなことしか言わねえんだ」
「絶句してないじゃん」
「しそうになったの!」
「ねえ、あとどのくらいで治るか、傷みせて」
「ダメです!」
「じゃあ勝手に見ようっと」
「えっ、ちょ、ぎゃーっ、変態!」
ソファに押し倒すとベルトに手をかけ、手早く脱がせる。エドワードが慌てて下着を押さえたら、さすがにそれは脱がせられなかったが、この前みたいにトランクスを捲り上げられた。
「動くと痛いよ。大人しくしてて」
その言葉に痛みを知っているエドワードは暴れるのをやめる。アルフォンスは留めていたテープを剥がして、脚の付け根部分に貼ってあった大きなガーゼを外すと、傷口の中に入れられているガーゼが膿を吸って赤く染まっているのを見て、眉をひそめた。
「痛々しい」
「そう思うなら、こういうことすんなっ」
「太腿の肌の色もまだまだ悪いね」
「風呂に入れるくらい良くなったら血行も良くなって、あっという間に治っちまうよ」
アルフォンスはガーゼを元通りに貼りなおすと、そっと上から撫でた。
「さ、さわんなよ」
「痛んだ?」
「そうじゃなくて、場所を考慮しろ」
「ああ…危ない場所だもんね。僕が触ったら、反応しちゃうかもしれないもんね」
言ってアルフォンスは、エドワードの脚を開く。脚の間に顔を埋めると、付け根にあるガーゼの上からキスをした。
「早く治るよう、おまじない」
にっこり笑って顔を上げたアルフォンスに、エドワードは真っ赤になりながらソファに置いてあるクッションをお見舞いした。
いつも世話になっている第3保健管理局の医師はとっくに出張から帰ってきていたが、切開をしたのがソレイユ医師であるからと、脚の治療はそのまま第2保健管理局で続けられた。アルフォンスが毎日のように「まだ?」とか「もうそろそろいい?」とか聞いてくるので、エドワードもなんだか焦り始めていた。
早く治さなければといつもより多く食事や睡眠を取り、治癒力を高める努力をした。
その効果もあってか回復の兆しが見え始め、点滴を始めてから二週間後、切開した傷口からガーゼが取り除かれ、その二日後には湯船に入ることが許された。
湯船につかれるようになると、予想通り傷口はあっという間に良くなり、肌の色も元通りになった。
弟の肌に触れたいと、エドワードだって思っていた。
毎日「まだ?」と聞いてきたアルフォンスに洗脳された気も、しないではないが。
ぽっかり開いていた穴のような傷も塞がり、ガーゼが絆創膏になった夜、エドワードは風呂に入ると体を念入りに洗った。今日こそはアルフォンスと出来る。アルフォンスの腕の中でアルフォンスの匂いを感じ、アルフォンスの体温を感じてアルフォンスの肌に触れられる。
体も髪も指先も綺麗に洗ってリビングに行くと、すでに弟の姿はそこになかった。
もう寝たんだろうかと部屋に行く。アルフォンスは自分のベッドにうつ伏せに寝転んで、本を読んでいた。
「アル」
声をかけたが、そこでふと我に返る。そして進退きわまった。
アルフォンスが本から顔を上げる。
しまった、何も考えてなかった。なんて言うんだ。しようってか? オレから誘うのか? アルを?
「なに?」
「あの……え、えーと、だな」
「うん?」
なんて言えばいいんだ、なんて言えばいいんだ、なんて言えばいいんだ、なんて 。
「ああああああああのな」
気軽に言えばいいんだ。アルなんかいつも気軽に誘ってくる。
今夜いい? とか聞こうか? いや、そしたら、いいって何が、と聞き返されそうだ。
しようぜ、にしようか。何を? ってやっぱり聞き返される?
「……今夜」
「うん」
「…こ、今夜……その、一緒に……ね、寝ても、いいか?」
言った。
「いいよ。はい」
体をずらしてエドワードが隣に寝れるくらいのスペースを空ると、アルフォンスはまた本を読み始める。……失敗した。やっぱり。
それでもアルフォンスの体温が恋しかったエドワードは素直にベッドの中に入った。背中を向けて横になり、この状況をあれこれ考える。
くそう、敗因はなんだ。
弟が鈍いというよりは、どう考えても非は自分にある。言葉が出てこないだなんて、普段自分からアルフォンスを誘わないからだ。いつもアルフォンスに誘われてから体を開く。もうちょっとこう、自分から積極的になってもよかったんじゃないのか。性的欲求はアルフォンスの方が強くて自分は淡白なんだと思っていた。いつもは欲しくなる前にアルフォンスが求めてきてくれたのだ。これでは上手な性生活が送れない。今日はアルフォンスの可愛い寝顔でも眺めて明日もう一度チャレンジしてみよう。もっとちゃんと、オレだっておまえが欲しいんだと伝えなきゃ。
夜中にこっそりアルの寝顔を見るために取りあえず先に寝とくか、と目を閉じたら、隣から密やかな笑い声が聞こえてきた。
そんなに面白い本なんだろうか、と思っていると、ベッドが軋んで影が被さる気配がする。
「寝ちゃだめだよ」
声に目を開け見上げると、アルフォンスがニヤニヤと笑ってこちらを見下ろしていた。
「なんだアル」
「なんだじゃないでしょ。挫けないでもっとちゃんと誘わなきゃ」
エドワードの顔に、かっと朱が上る。
「おまえ知ってて気づかないフリしやがったな!?」
「あはははは」
「このやろ」
エドワードが暴れるのを阻むためか、先に両手首を押さえられた。
「離せ、オレは自分の部屋に帰る!」
「なに言ってんの。だめだめ。ちゃんと僕に何をして欲しいのか、はっきり言わなきゃ」
「にやけながら言うな!」
「いやあ、どうしても顔が笑っちゃうのを抑えきれなくて」
「離せ根性悪」
「好きな子を苛めたくなるっていうアレだよ。少年の心理。微笑ましいでしょ?」
「どこが!」
「やだなあ、照れちゃって。暴れないで大丈夫だよ、ここには僕しか居ないんだから」
本格的に、エドワードの体に乗り上がってくる。
「じゃあもう一回、始めからやり直してみようか」
「なにを」
「その可愛い口で言ってよ、僕に何をして欲しいのか」
エドワードは口を噤み、掴まれた手を振り解こうともがく。
「あれ? だんまり? 言ってよ。ちゃんとおねだりしてみて?」
「………」
「この前は『口でしてやろうか』なんて言ったくせに、なんでセックスしようとは言えないのかなあ。ねえ?」
「…おまえこそ、なんでそうべらべら言えんだよ。兄ちゃんには理解できねえ」
「僕のほうこそ理解できないけどな。……触って欲しいって、言って?」
アルフォンスの手がパジャマの裾から入り込み、指先が胸に触れる。
「あっ」
自分でも驚くほど体が敏感に反応し、高い声が出た。触られたところが火傷したみたいにじんじんと疼いて、どれほど自分がアルフォンスに飢えていたかを思い知らさせる。
「……兄さん…」
囁いて、エドワードの首筋に顔を埋め、鼻先を鎖骨に寄せた。
「…いい匂いがする。僕に抱かれたくて、綺麗に洗ったんだね」
「……笑えよちくしょう」
「なんで? 笑わないよ。これは可笑しくて笑ってるんじゃなくて、嬉しくて笑ってるの。……あなたのそういうところが、愛しい……」
ちゅ、と音を立てて首筋にキスをされ、エドワードの躰が反応する。舌を出して舐められて、躰の疼きは強くなり、呼吸が熱く乱れた。
「……僕が欲しい…?」
顔を上げた弟を、目元を赤くしながらきつく睨み返す。
「お…おまえ、こそ、オレが欲しいって、言え。……オレが欲しかったって…言えよ」
「ふふ。今日も元気に強情だね」
アルフォンスはベッドから起き上がると、腕を引いてエドワードの体も起こし、自分の膝の上に乗せた。
腰を抱き寄せ、エドワードの下肢を自分の下肢へ、ぴたりと合わせる。
「言葉にしなくても、分かるよね?」
「……わ、分かんね…」
「もっと強く押し付けようか?」
声を低くしてエドワードの耳を噛み、舌を入れてくる。
「兄さんこそ、言葉にしてよ。……言って」
「……ア…アル…」
「うん」
両手でアルフォンスの首に抱きつき、息をする。感じる。数週間ぶりの、弟の温度と匂い。
「……欲しい……アルが……」
「…なにをして欲しい?」
「抱いて欲しい……。……触ってくれよ…」
唇にキスをされ、それに応えるように舌を出して自分から絡めた。濡れた音に煽られて、ますます躰が熱くなってゆく。
「……傷はもういいの? 先生に許可貰った?」
「なんて聞けばいいんだよ。もうしてもいいですか、ってか?」
「ちょっと激しい運動してもいいですかって」
「聞けるか、バカ」
「……傷が良くなったかどうか、この目で確かめてもいい?」
返事を待たず、アルフォンスが下着の中に手を入れてくる。
触られて、エドワードは更に息を乱した。
「長かったなあ。……あなたが喘ぐ姿、ずっと見たかった……」
弄っていた手を出して、エドワードのパジャマを性急に脱がしてゆく。すべてを取り去ると、自分が着ているものも全て脱ぎ捨て、ベッドに横たわったエドワードの上に体を重ねてきた。
「兄さん、今夜はいい夜になりそうだね」
「……一応、病み上がりなんだから、手加減しろよ?」
「痛くしないように抱くから。そのかわり、どんな格好をされても文句言わないでよね」
どんな格好をさせられるんだろう、と一抹の不安を抱えながら、エドワードはアルフォンスの背に手を回す。
数週間ぶりの「愛」を確かめるために。
欲しいって言って
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