02.gif 依存
      




 





「精神に作用する化学物質の摂取や、ある種の快感や高揚感を伴う特定の行為を繰り返し行った結果、それらの刺激を求める抑えがたい欲求が生じ、その刺激を追い求める行動が優位となり、その刺激がないと不快な精神的・身体的症状を生じる精神的・身体的・行動的状態のこと。――なんですか、これ?」

僕の問いに、自分のデスクに座ってせっせと書きものをしているハボック中尉が、煙草のフィルターを噛みながらつまらなそうに答える。

「自分が出張から帰ってくるまでに『依存症』ってのを医学書で調べて20回書け、だとさ」

「誰の命令ですか」

「軍の女性制服をミニスカにしてやるって言った、未来の大総統閣下さ」

「マスタング少将が?」

「他の仕事だってしなきゃなんねえのに。めんどくせーっ」

ハボック中尉はがりがりと頭をかく。僕はそのレポート用紙に乱雑に綴られた文字の続きを目で追った。

――依存は、物質への依存(ニコチン依存症、摂食障害、薬物依存症、アルコール依存症など)、過程への依存(ギャンブル依存症)、人間関係・関係への依存(共依存、恋愛依存症など)がある。一般的には嗜癖・「中毒」と呼ばれることも多い(“アルコール中毒”、“薬物中毒”など)が、現在医学用語として使われる「急性中毒」「慢性中毒」は、依存症とは異なる――。

ニコチンという文字を見て、なるほどと思った。

「部下の体を心配した、少将なりの愛情じゃないですか。中尉、確かに最近煙草の量が増えてますよ」

「わあってるよ。だからこうしてせっせと大人しく書いてんだろ」

「煙草を吸いながらですか?」

「うるせー」

笑っていたら、エルリック少佐は居るかと、同じ階級章をつけた少佐が事務所に入ってきた。

「はい、なんでしょう」

「ギリアム大佐がお呼びだ。すぐ行くように」

「は? ……自分に、ですか? どんなご用でしょう?」

「知らん。俺はただの使いだ。確かに伝えたぞ」

「はあ」

名前は知っていても、話したことはない。同じ仕事をしたこともないし、部署も違う。

――なんだろう?

首を捻りながら僕を呼んでいるという大佐のもとへ行くと、十人ほどのオフィスの中央に座っていた人物が、僕の姿を認めて立ち上がった。

「アルフォンス・エルリック少佐?」

「はい。お呼びですか?」

「ちょっと隣の応接室に来なさい。――少尉、お茶はいい。誰も中に入らないように」

ますます怪訝に思う。どうやら他人の耳には入れたくない話をするらしい。
大佐の後について部屋に入ると反対側のソファに座るよう促され、言われるまま腰を下ろした。大佐は前かがみになると自分の脚に肘をついて指を組み、落ち着かない様子でその指を動かしている。やがて溜息を一つ吐いて、言い難そうに口を開いた。

「……君は恋人が居るのかね?」

「…………………は?」

予想もしなかったまさかの質問に、思わず聞き返してしまった。

「恋人は居るのかね」

同じことを聞き返され、頭が混乱してくる。大佐の意図が分からない。ここはなんと返事すべきなんだろう? というか、この人はどういう返事を僕に求めているのか。
取り合えず僕は正直に、居ますと答える。

「本当に?」

「はい」
そうか、と言って、大佐は自分に納得でもさせるかのように小さく何度も頷くような仕草をした。暫しの沈黙のあと顔を上げ、今度はまっすぐ僕の目を見る。

「君が周囲の人間に、付き合っている恋人が居ると言っているのは知っている。一つ年上の、金色の長い髪をした人らしいね」

聞き込みでもしたんだろうか。

「そうです」

「今もその人とは続いているのかね? 付き合っているわりには会っていないようじゃないか」

「なんのことですか」

「この一ヶ月ほど一度も会っていないし連絡も取り合っていない。そうだろう? 本当に付き合っているのか」

僕は驚きで目を大きく見開く。大佐は少しだけ迷ってから一度席を外した。戻ってきたときには手に書類の束を持っていて、それをテーブルの上に置くと僕に見せた。

書類を目にして、僕は言葉を失う。

僕の一日の行動が分刻みで細かく記されている。日付は一ヶ月前から。
書類には写真も添付されていた。仕事をしている姿とか、私服で同僚と話している姿とか、休日に店で買い物をしている姿とか。――兄さんと2人で写っている写真もある。2人で笑いながら抱き合ってるものとか、僕が兄さんの頬にキスしている写真もあった。

書類の束を広げて他の写真を漁る。さすがに家の中での写真はなかった。
通話記録を細かく書いたものもあった。相手が誰かは分からなかったようだが、通話時間はきっちり書かれている。長電話をした記録がないから、恋人と連絡を取り合っていないと判断したんだろう。

「たった2人だけの家族のせいか、君たち兄弟は随分と仲がいいんだな」

「なんのために、こんな……いくら上官とはいえ越権行為ではないんですか。どんな理由があって僕のプライベートを暴こうとするんです」

「……将軍のお嬢さんが、君と正式に交際したいと言っている」

「なっ……」

「本人は結婚も視野に入れているそうだ」

「なに言ってるんですか将軍の娘さんは16歳でしょう !? 結婚って―― 」

「さすがに将軍も結婚までは考えていない。そこにいくまでにはお嬢さんの熱も冷めるだろう。それまでの間……」

「子守しろっていうんですか」

「お付き合いだ」

「冗談じゃない。いくらなんでも私生活に口を出されるいわれはありませんよ。上官だったら部下に何をしてもいいと思っているんですか。もしそれが命令だというなら僕はいまここで軍人を辞めます」

「結婚しろと言っているわけじゃない。彼女の熱が冷めるまでの間だ」

「飽きるまでの間ってことですか。僕は玩具じゃありませんよ」

「将軍に恩を売るいい機会だ。未来も明るいだろう?」

「出世なんかに興味ありません。地位が欲しくて軍に入ったわけじゃない。そもそも大佐は将軍にこんな仕事をさせられ
てなんとも思わないんですか」

それには答えず、大佐は静かにもう一度僕に訊いた。

「付き合っている人がいるのかね、本当に?」

「います。いい加減な気持ちではなく真剣に愛しています。一生添い遂げるつもりです」

「一生などと簡単に請け負っていいのか」

「簡単に請け負ってなどいません。大佐にしてみれば僕のような若輩者が何を言うかとお思いかもしれませんが、生半可な決意じゃありません」

「若いときは誰でも一度くらいはそう思うものだ。……これは先ほどの話とは切り離した私個人の意見だが、人間の気持ちほど移ろいやすいものはないぞ?」

「十人いれば十通りの想いがあるでしょう。誰もが型に当て嵌まるわけじゃありませんよ」

「ではその恋人といずれは結婚するのかね?」

すぐに返事が出来ず、詰まった。大佐はそんな様子をどう取ったのか、表情も変えずに静かにこちらを見ている。

「結婚は――僕たちは訳があって…そういう形はとれないんです。だから……」

「結婚はせずに相手を縛るのか? 勝手だな」

「それが全てではないでしょう。結婚はゴールではなく、ターニングポイントに過ぎない。そんな契約をしなくても二人で居られるならそれでいい。僕も……あの人も」

大佐は深く息を吐いて腕を組んだ。

「君の心をそれほど掴んだのは、どういう人物なのかな。本当に恋人が存在するというのなら名前を教えてくれないか」

「言う必要を感じません」

「そうはいかん。将軍のお嬢さんが知りたがっている」

「余計に教えるわけにはいきませんね」

「君がそうやって相手の事を隠すから、尚更ムキになってしまうのだろう。私見だが実際にその恋人と君が一緒に居るところを見れば、あまり執拗にお付き合いを強請してくるようなことはしなくなるのではないか? いくら将軍からの命令とはいえこんなことをしている私が言うのもなんだが、君には同情する。恋人と2人で会っているところを、遠目からでもお嬢さんに見せてみてはどうだろう? ……私がセッティングしてもいい」

「出来ません」

「何故そこまで頑なに隠そうとする? 人には言えないような人物なのか? それとも人には言えない関係なのかね?」

「……」

「人に言えないような関係を一生続けていくつもりなのか君は。それは相手にとっても不幸なことなのではないのかね」

反論しようとして口を開きかけたが、言葉は出てこなかった。

「まあいい。とにかく考慮してくれ。本当の恋人を晒したくないのなら、誰か代役をお願い出来る女性はいないか? 出来れば軍関係者ではなく中央にも住んでいない女性のほうがいい。その代役を買って出た女性に対して将軍やお嬢さんが何か働きかけたりしないよう、それは絶対に保証しよう」

「……考えておきます」

「そうか。ではもう行っていい」

立ち上がり、失礼しますと言って部屋を出て行こうとした僕を大佐が呼び止めた。

「今回のことをマスタング少将に言うかね?」

「は? いえ」

「そうか。それがいいだろう。あの人はこれからもっと上へとのぼってゆく人だ。それを妨げるようなトラブルには巻き込まないほうがいいだろう」

言われて初めて気づいた。なぜ今日僕が呼び出されたのか。あの人は理不尽なことを本当に嫌う。少将がこのことを知ったら、きっと黙ってはいないだろう。その少将はいま出張中で中央に不在だ。

僕は背を向け、この部屋で起こったことを断ち切るようにバタンと扉を閉めた。








長い廊下を巡って歩いて、自然に脚は兄さんがいる部署へと向かう。

会いたくて会いたくてたまらなかった、今すぐに。

でも部署に兄さんの姿はなく、気落ちして戻ろうとしたとき、アル、と背後から声を掛けられた。

「なんだ、どうした? オレに用か?」

笑顔で僕のそばに歩み寄ってくる。その笑顔が眩しくて、悲しくて――僕は目を細めた。
兄さんの手首を取って、無言のまま歩き出す。

「アル?」

手を引いて人気のない場所を探す。人気のない場所を探さなければいけないということが、また僕の気持ちを沈めた。人前で抱き合ったり出来ないのだ、僕たちは。じゃれてこっそり抱き合っているところを写真に撮られはしたけど。

西棟の人影のない場所に来て、使っていない部屋を見つけて中に入る。資材置き場のようだ。中から鍵を掛けて誰も入れないようにすると、振り返って、兄さんの体を力一杯抱きしめた。

「ア…ル……? な、に……っ」

兄さんが呻くのを聞いて我に返り、腕の力を緩める。それでも兄さんの体を離さず抱きしめ続けた。兄さんは腕の中でほっと息を吐き、怪訝な様子で聞いてくる。

「アル、どうした?」

僕はそれに答えず、黙って兄さんの髪の柔らかさや頬の温度、呼吸する音を感じた。
体を離して兄さんの顔に手をやる。上向かせて唇を重ねた。少しだけ開いている隙間から舌を入れて兄さんの舌を探し、舐める。

「んっ……んう…」

軍服の上着の裾から手を入れて、シャツの上から体を触った。脇腹を何度も撫で、上着を不自然な形でたくし上げてさらに奥へと手を入れる。胸に触れて指先で尖りがある場所を探りながら、もう片方の手を下肢のコートの中に忍ばせて脚を撫でた。膝で兄さんの脚を割ろうとすると、それを阻止するために僕の胸に両手をついて体を離す。

「ちょ……ま…ま、て。なんだよ」

「抱きたい」

「えっ、いま?」

「いますぐ」

「アホか。ここを何処だと思ってんだ」

「だめ?」

「だめに決まってんだろ。――どうしたんだ、アル」

「ただ発情しただけ」

「嘘つけ」

「……兄さん」

「なんだ」

「愛してるよ」

「………」

兄さんは僕の顔を見る。瞳をじっと覗き込んで、何かを読み取ろうとするかのように。
ふと柔らかく笑うと、手を伸ばして僕の頭を自分の肩に抱きよせ、背中に手を回して宥めるように撫でた。

「おまえ、今日残業あるのか?」

「……どうかな。少将が出張中だからちょっとわからない。あるかもしれないし、ないかもしれない。たぶんないとは思うけど」

「おまえがここで油売ってるくらいだから、今日は無いな、きっと」

「わかんないよ。終わる直前で急な仕事が飛び込んでくるときもあるし」

「んじゃそんときは、これから病院に行かなきゃいけないので今日は帰らせてくださいって言え。そんでもって、2人でまっすぐ家に帰ろう」

「なに? 何かあるの?」

「バカ、おまえが抱きたいって言ったんだろ。……あと二時間。二時間我慢しろ。早く家に帰って、2人で抱き合おう。――いっぱい」

両手を伸ばしてまた兄さんの体を抱く。甘えるように頬をすり寄せて。



好きだ。愛してる。


それだけでは駄目なんだろうか。2人で居るためには努力が必要なのも知ってる。好きだという気持ちだけでは居られないのも知ってる。でも何よりも大事なのがこの気持ちだと僕は思いたい。気持ちだけでは相手を繋ぎとめられないんだろうか? 既存の形で表さなければならないんだろうか? 形で表すことが出来ないことは相手を苦しめることになるんだろうか? 不幸を強いることになるんだろうか?

兄さんは何度も僕に言っていた。普通に女の子と恋愛して、普通に結婚して、家族を増やして、おまえは幸せになれと。
いまのこの関係が不幸だとは思わない。十分すぎるほど幸せだ。他の人よりほんの少しだけ苦難ではあるけれど。でもその苦難を僕は兄さんにも背負わせていることになるんだろうか。

僕が聞いてもきっと兄さんは、そんなことはない、と言うに決まっている。

さっきのハボック中尉が書いていたレポートを思い出した。

――ある種の快感や高揚感を伴う特定の行為を繰り返し行った結果、それらの刺激を求める抑えがたい欲求が生じ、その刺激を追い求める行動が優位となり、その刺激がないと不快な精神的・身体的症状を生じる精神的・身体的・行動的状態――。

僕は兄さんという存在を魂で求めている。兄さんがいなくては僕は居られない。依存している。

それなのにこの人の存在が僕の中でどれほど大きいものなのか、隠さなければならない。




大声でこの人が僕の好きな人だと言えたらいいのに。

誰にも隠さずに言えたらいいのに。












依存



とある理由で、皆で作ったコピ本に寄稿させていただいた小説。

テーマがたしか医療系だか研究内容だとかレポート風だったかのような気がする…。
すいません、記憶能力が弱い人間で。

とにかく書いたことがないテーマだったので、どういう話に持っていくかで
悩んだ覚えがあります。書き始めたらサクサク書けましたが(笑)

「依存」というと悪い言葉というか、あまりいいイメージがありませんが、
そもそも人間というものは依存し、依存され、何かを支えたり何かに支えられたりして
生きているんじゃないだろうか、と思う管理人。

そう考えると依存もそれほど悪くないかなーと。


そしていつものように、こんなところで切れてすんません。





























































 

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