エドワードが甘い吐息を洩らす。
首筋を逸らしたときに、肩から長い金色の髪が肌を滑り落ちた。
目を開けているのが辛いのか、横を向いて瞼を閉じる。
切なげに眉を寄せて、何かに耐えるように躰を震わせる。声が漏れそうになったのか、自分の手のひらで口元を押さえ、身を竦めた。
白いシーツの上を、鋼の脚が滑る。
触れたい。もっと深く。もっと奥に。
その躰を恣にするために、アルフォンスは手を伸ばす 。
実際に空に向かって手を伸ばそうとして、目が覚めた。
夢だと気付き、アルフォンスは暫しぼんやりしてから、大きな溜息を吐く。
久しぶりだ、こういう類の夢は。こんな夢を見るなんて、まるで思春期の少年のようだ。
最後に兄と肌を合わせたのはいつだっけ?
そう思って、軍の仮眠室のベッドに寝たまま、指折り数えてみる。
ここしばらくそういう機会がなかったからこんな夢を見たんだろうか?
そろそろ今日あたり、あの人に触れたい。
いつもアルフォンスを癒してくれる、あの肌に。
出来るだけ残業をしないようにと仕事を手早く片付けたのに、迎えに行ったら兄はもう司令部に居なかった。
事務所の女の子が来週いっぱいで結婚退職するとかで送別会があるらしく、職場の皆で飲みに行ったらしい。
帰りは遅くなるんだろうか?
どっちにしろ今日は兄を抱けないなと諦めながら、アルフォンスは1人家に帰った。
運行している汽車もバスもなくなった深夜、玄関のドアが静かに叩かれた。
ドアの向こうには何度か兄の職場で見たことがある青年が、申し訳なさそうな顔をしてエドワードを支えて立っていた。
「すいません、こんな夜遅くに。少佐、酔い潰れちゃって動けないみたいなので、少し休ませてから連れてきたんですが……」
「…アル〜」
エドワードはアルフォンスを認めると、青年の前なのも気にしないで、ご機嫌でアルフォンスに甘えるように抱きついてきた。
「……兄さん、いったいどれだけ飲んだの」
「うーん……兄ちゃん、よっく覚えてなぁい」
酔ってぐらぐらしている体をしっかりと抱き止めるのを見ると、青年はほっとしたように苦笑して、それでは自分はこれで、と帰ろうとする。
「あ、ちょっと待って。良かったらお茶でも」
いえ、と青年は笑いながら辞退した。
「これからあと2人ほど、送り届けなければいけないので」
青年の視線を追ってみれば、外には車が停まっていて、中には酔い潰れたらしい男が2人、後部座席に乗っている。
「君は送り届ける役?」
「自分、酒が飲めないので」
少佐が正気に戻ったら今度何か奢るようお伝え下さい、と青年は笑って言って、車に乗り込み去って行った。
玄関先で見送ったアルフォンスは、家に入ると兄をソファに寝かせた。
「兄さん、大丈夫?」
「ん? うーん」
「冷たい水、持ってこようか」
「……いらない」
アルフォンスの手を引きソファに座らせると、エドワードが首に抱きついてくる。
「水より、アルがほしい…」
「………………………は?」
「アル……」
いきなり押し倒され、唖然としていたら、唇にキスされた。
「兄さん?」
顎にキスされ、頬にキスされ、耳を噛まれた。舐められながら舌を入れられ、兄が何をしたいのか、段々分かってくる。
「ちょちょちょちょっと!」
エドワードは少しだけ体を離すと、アルフォンスのシャツのボタンを外し始める。覚束ない指先でもなんとか外し終えると、今度は首筋に唇を寄せてきた。
強く吸われて、ちくりと僅かに痛みが走る。兄はそのまま鎖骨にキスしたり指先でアルフォンスの肌を弄ったりしながら、胸元へと舌を這わせ始めた。
「うわーっ!! ちょっと待ってー!!」
慌てて兄の体を押しやって、起き上がる。脱がされかけたシャツが肩から滑り落ちて腕に絡みつき、なんだか襲われているようだった。いや、実際襲われているのか。
「ななななななななにっ! どうしたの兄さん!」
「アルが欲しい。……しよう?」
「えええええ!?」
再び抱きついてこようとする体を、慌てて離した。
「ダメっ!こんなに酔っ払ってるくせに何言ってんの!」
「なんで酔ってるとダメなんだよー」
「僕の都合っていうか、いやその、本当は喉から手が出るくらいしたいんだけどね? でもダメ。僕は、酔ってる兄さんとは絶対しないって決めてるんだよ」
「なんで……」
「………」
アルフォンスは返事が出来なかった。実は以前、酔って前後不覚になっていた兄に不埒なことをしてしまい、自分の浅ましさと狡さを酷く反省したことがあるのだ。それ以来、酔った兄には絶対に手を出さないと、自分に課していた。
「とにかくダメ。今はダメ。明日…明日しよう? ね?」
エドワードはぼんやり弟を見上げていたが、金色の瞳がみるみる潤んで今度はいきなり泣き出した。アルフォンスはまさかの事態続きに、ぎょっとする。
「う…うう…うううう〜」
「ななななにっ、今度はどうしたの!?」
「アル……アルがぁ……」
「僕がなに」
「ア、アルが……オレのこと、す、好きじゃないって言った…」
「はあ?」
「オレのこと、嫌いって…言ったぁ。……う…ひっく。うう……」
小さな子供みたいに泣きじゃくる。
「そんなこと言ってないでしょー!?」
ほとほと困ってしまったが、同時にこんなふうにしゃくりあげるくらい僕のことが好きなのかな、なんて思えて、酔って正常じゃないのだと分かっていても、ちょっと嬉しくなってくる。
アルフォンスは口元を綻ばせながら、兄の体を持ち上げて自分の膝の上に座らせ、胸に抱いた。
「ほら、泣かないで。言ってないよそんなこと。本当に嫌いなら、こんなことしないよ」
「こ…こんな、こと?」
「こんなふうに抱きしめたりしない、ってこと」
「…ア、アルに嫌われたら……ひっく……ど、どうしようオレ……」
「何言ってるの、嫌いになんかならないよ」
「だって、オレが嫌がるときは無理矢理でもすんのに、オレがしようって言ったときは、しない……」
「いやあの、だからそれは」
「オレのことが、嫌いだからだ……」
「違うってば」
「オレ、子供ほしい」
「はあ?」
今度はなんだ。
「アイリーンが…妊娠したって」
「アイリーン? 誰?」
「妊娠したら、なかなか結婚に踏み切れなかったのに喜んでくれて、すぐに結婚しようって言ってくれて、彼の愛を独り占めできた、って」
今日の飲み会の主役、結婚退職することになったという事務員の女の子だろうか?
「オレが妊娠しないから……アルはオレのこと、好きじゃないんだ」
「なに言ってんの、妊娠しなくたって兄さんは僕の愛独り占めしてるでしょう」
「嘘だ……だって…だったら、オレのこと、抱いてくれる……う……うぇ」
エドワードはまた泣き出す。
「だから、僕だって抱きたいんだってば!」
アルフォンスは涙でぐちゃぐちゃになった兄を顔を、てのひらで綺麗に拭ってやると、ティッシュで鼻を摘まんでやった。
「ほら、鼻かんで」
言われるまま素直に鼻をかんで、少し落ち着いたのか泣き止む。
しかし相変わらず小さく体を揺らしてしゃくりあげていた。いつも飲むと陽気になるはずの兄が、泣き上戸とは珍しい。どの辺の酒量が境目なんだろう?
「あのね、もうどのくらい僕たちしてないか、知ってる? 僕だってあなたを抱きたいんだよ。……夢に見るくらい」
囁いて、兄の両頬に手を添えて静かにキスをした。
「せっかく兄さんが積極的になってくれてるのに拒む僕だって辛いんだから、あんまり刺激しないでよ。お願いだから、大人しくなって」
「なんで……酔ってるオレは、アルに抱いてもらえる資格がねえの…」
「兄さんに資格がないんじゃなくて、僕に資格がないんだよ」
「なんで?」
「………」
「なんで? なあ」
「お願い、聞かないで。……軽蔑されると困るから」
「しねえよ」
「……それでも言えない」
エドワードは滲んできた涙を自分の手の甲で拭うと、今度は突然服を脱ぎ始める。
「ってちょっと! 僕の話、聞いてなかったの?」
「酔い醒ましたら、アルが抱いてくれる……。オレ、風呂入る」
「うわあああ! ダメダメダメっっ!!」
慌ててアルフォンスが服を脱ぐエドワードの手を止めた。
「泥酔状態でお風呂だなんて、そんな危ないことしちゃダメ! 命取りになったらどうするの!」
「寝ないように、する……」
「駄目だ。失神するかもしれない」
「…じゃあ、一緒にはいろ?」
「えっ」
「一緒に風呂はいろ?」
少し悩んで、やっぱりアルフォンスは駄目だと言った。
「なんでだよっ」
「お風呂に一回入ったくらいじゃ酔いが醒めたりしないよ。僕が一緒にお風呂に入ろうって言う時は嫌がるくせに、なんでこんな時ばっかり一緒に入りたがるんだよ」
「おまえが酔ってるときに風呂は危ないって言うからだろ」
「兄さんのこと抱けないのに、一緒にお風呂になんて入れないよ。興奮させないでってば」
「一緒に風呂はいったくらいで、なんで興奮するんだよ」
「兄さんの裸を明るいところで見るんだから興奮するにきまってるだろ! っていうか、なに言わせるんだよ」
エドワードの瞳に、また涙が滲み出す。
「一緒に……風呂に入るのもイヤなくらい……嫌われた……」
俯いて、また泣き出す。
「違うって言ってるでしょ。あーもー」
兄の後髪を掴むと強引に唇を合わせた。噛み付くみたいに強く吸ってエドワードの体をソファに押し倒すと、そのまま乗り上がって濃厚なキスを続ける。
手探りでシャツのボタンを見つけ、一つ一つ留めてゆく。ある程度留め終えたら、今度は兄の手首を掴んで抵抗を防ぎ、服を脱ぎださないようにする。
「んっ……んん……」
キスで大人しくさせるだけでよかったのに、つい舌を伸ばして口の中を愛撫してしまった。
エドワードが呼吸を乱し、甘い声を洩らす。
息が苦しくなって離れると、エドワードも同じように息を乱し、切なげに眉を寄せて胸を上下させていた。
これに似た表情を、アルフォンスは知っている。
兄の躰の中にゆっくりと入って繋がるとき、こんなふうに眉を寄せてアルフォンスを見上げ、胸を上下させて、切なく喘ぐ 。
ちっ、とアルフォンスは舌打ちした。
自分で自分の中の寝る子を起こしてしまった。
兄の濡れた口元を親指で拭ってやると、また唇を合わせた。舌を忍ばせて、口の中を愛撫する。エドワードの口の中から僅かにオレンジの味がした。甘い柑橘系の香り。今日はビールではなく、カクテルを飲んできたらしい。
そろそろ自重しないと抑えきれなくなる。
自分の中で暴れ始めた獣を、なんとか押し止めようとして、唇を離した。
エドワードはすっかり大人しくなって、されるがままになっていた。
お願い、このまま、大人しくなって。
静かに見下ろして、お互いの息が整うのをじっと待つ。
やがて兄の瞳がぼんやりしてきて、眠そうに瞬く回数が増えてきた。
これは寝るな、と思って、促すように何度も何度も頭を撫でてやる。額にそっとキスをして、何度も何度も。
やがて体の下から、規則正しい寝息が聞こえてきた。目元を赤く染めて、睫毛を涙で濡らし、エドワードはようやく眠りについてくれた。
アルフォンスはどっと疲れて脱力する。
何が兄を刺激したのだろう?
『結婚』だろうか? それとも『妊娠』? 『彼の愛を独り占め』?
「………くそっ」
アルフォンスはエドワードから離れると、反応してしまった自分の処理のため、バスルームに向かった。
兄に襲われた自分の姿が、鏡に映し出される。
首筋に鬱血の跡。シャツはボタンを全て外され、脱がされかけている。
「……明日の夜、覚えてろよバカ兄」
次の日の夜、何も覚えてないエドワードは、ものすごく恥ずかしいことを言わされたり、執拗に鳴かされたりと、散々な目にあうことになる。
そしてエルリック家では、当分飲酒が禁止になった。
Je te veux
〜あなたが欲しい〜
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