「エド、行こうぜ」
「おう」
ラフなシャツ姿だったエドワードと襟元を着崩していた同じ国家錬金術師のノエイ少佐は、きちんと制服を着直して中央司令部を出る。
先週末、市内の宝石店に強盗が入った。
犯人はスピード逮捕されたが、逃亡を手伝った共犯者がいたとの目撃証言があり、国家錬金術師の2人は宝石店の店主にもう一度事情を聴取し、簡単な実況見分をし直すために市街へ向かおうとしていた。
普通ならば車で向かうところだが、2人はのんびり歩いていく。
軍の車両は基本的に車両使用申請を出さなければならないのだが、誰もこの規約を守る人間はおらず、空いている車のキーを勝手に持ち出し、勝手に使っていた。
しかし最近、この車両が軒並み新車に入れ替わり、皆が競って乗りたがる。
使用申請を真面目に出さないと、キーを手にすることすら出来ない。
延々と歩くことの方が余程大変そうだが、形式ばったことをもともと面倒がる2人は、最近はもっぱら歩きで移動していた。
「共犯、いると思うか、エド?」
「さあな。でもいてもおかしくはない逃げっぷりだった」
「本当に一人かな」
「まあ一人だと探す手間が省けていいわな」
青空の下、周辺の景色を眺めながらのんびり歩くのは気持ちがいい。
顔見知りになった花屋の店員や八百屋の店主に軽く挨拶をしながら、2人は機嫌よく歩いていた。
もう少しで目的の宝石店に着く、という時だった。
建物の隙間を縫うように、どこからか悲鳴が聞こえてきた。続いて大きな激突音。今度は複数の悲鳴が上がる。
顔を見合わせた2人は、次の瞬間には走り出していた。
複数の人間が、ある一点の場所に向かって走っている。
事故だ、という言葉がどこからか聞こえてきた。すぐに人垣が出来ている場所に行き当たる。
ちょっとどいてくれ、と掻き分けながら前に出た。
そこには横転したままフロント部分を街灯に減り込ませた車が一台、大破していた。事故の直接の原因なのか、右のリアタイヤがパンクしている。道路脇の花壇のレンガに黒いタイヤ痕と抉られた跡があった。運転不能になって花壇に乗り上げ横転し、街灯に衝突したというところだろうか?
頭から血を流した運転手らしき男が、数人の男に車内から助け出されていた。
「おい、大丈夫か?」
ノエイ少佐が男に駆け寄る。
軍服を認めた男が、弱々しい声で、彼女が、と言った。
「……まさか……」
呟くように言ってエドワードはすばやく車内を覗き込む。同乗者の姿はない。
下よ、と誰かが悲鳴をあげた。弾かれたように横転した車体の下を覗き込む。白い脚が見えた。
「ノエイ!!」
ノエイがエドワードの元へと駆け寄る。同様に車体の下を覗き込んで、顔色を変えた。
両手を合わせて車を解体しようとしたエドワードを、待て、とノエイが止める。
「彼女がどういう状態で下敷きになっているか確認してからでないと危険だ」
頷いたエドワードは野次馬で集まっている男たちに声を掛けた。
「車を下から持ち上げる。車体が不安定に動かないよう、支えてくれ!」
数人の男たちが駆け寄り、言われた通りに車体を支える。合わせた両手を地面について、ジャッキの代わりになるような塊を、路面から錬成しようとした時だった。
数人では支えきれなかったのか、車体が傾ぐ。下敷きにされた彼女が更に押し潰されそうな気がして、エドワードは咄嗟に自分の右腕を車体の下に差し入れた。
「バカっ! おまえまで下敷きになっちまう!」
人のことは言えずにエドワードに寄り添ったもう一人の国家錬金術師は、誰か!と叫んだ。我に返った野次馬の人々が、今度は男女関係なく走り寄って車体を支える。
機械鎧の右腕がギリギリと音を立てて軋む。肩に強い負荷を受けて、エドワードは顔を歪め、額に玉の汗を浮かべた。
車体が安定したのを確認し、ノエイが路面から車体を持ち上げる岩を錬成する。
右腕を解放されたエドワードはほっと息を吐き、車体の下に潜り込んで彼女の状態を確認した。運よく僅かに出来ていた隙間に入っていたらしく、意識はないものの彼女は生きていた。しかし右手が車体に潰され、見えない。地面には夥しい血が広がっていた。
「引っ張り出すのは無理だ」
右腕が潰されている、との言葉にノエイは眉間に皺を寄せ、どうする、と声を潜めた。
「これだけの人数がいればなんとかなるさ」
急激に車体を彼女の上からどかす事で新たな出血を促すことにならないよう、車体を大人数に支えてもらいながら、少しずつ彼女の体を保護するような防護壁を路面から錬成していった。
車体を彼女の腕から退けても血が噴出すようなことがないのを確認すると、一気に車を変形させて女性の上から取り除いた。
防護壁を路面に戻すと、彼女の負傷具合を見る。
体のほうに大きな外傷は見られなかったが、右腕の怪我は目を覆うほど酷かった。
何箇所も折れ曲がり、皮膚を破って白い骨が突き出ているところもある。筋肉組織もごっそり抉られていて、無事であるようにはとても見えなかった。
エドワードは無言で軍服を脱ぐと、彼女の上に掛けてやる。自分が着ていたシャツも脱いで、冷静に止血をした。
腕の惨状に棒立ちになっていたもう一人の国家錬金術師もようやく我に返り、自分も軍服を脱いで、上半身裸になってしまったエドワードに掛けてやる。
「ああ、さんきゅ」
「いや。………この腕、大丈夫だと思うか?」
エドワードは答えなかった。
それが答えだと知って、ノエイや周囲の人々はやりきれない思いを溜息で吐き出す。
遠くで救護車の音が聞こえてきた。
ぶかぶかの軍服を着て司令部に戻ると、すぐにマスタング少将に呼び出された。
「しばらく見ないうちに縮んだか?」
「うるせぇ、火トカゲ。ノエイの上着だ」
とても上官に向けているとは思えない口を利いて、ノエイに脇腹をつつかれた。
エドワードの悪態は挨拶のようなものなので、ロイは別に気にした風もない。
「今日、事故現場に行きあったそうだな」
はい、とノエイ少佐は返事をしたが、エドワードはむっつり黙った。
「怪我を負った女性のご両親から軍へ電話があった。娘を救護してくれた国家錬金術師の2人に、ぜひともお礼が言いたいと」
「……そうですか」
「どうした。2人とも浮かない顔だな」
なあ、とエドワードが口を開く。
「彼女の容態は?」
「命に別状はないようだ。内臓にも脳にも損傷は見られない」
「手は?」
「……右腕は、いま、切断手術を受けているそうだ」
国家錬金術師の2人は俯く。
分かっていたことではあったが、やはり胸が痛んだ。
口調こそ素っ気無かったが、ロイは二人を労わるように言った。
「命があることが、なにより大事だ」
少しだけ慰められた気がしたが、胸の中の澱は薄れなかった。
「……アル?」
夜遅くに帰り着いたが、家の中は真っ暗だった。
もう寝ているのだろうかと、弟の部屋へ行ってみたが、ベッドにもその姿はない。
「……夜勤か」
溜息を吐いて、ひどくがっかりしている自分がなんだか不思議に思えた。
バスルームへ行ってシャワーを浴び、着替えると、自分の部屋へは行かず、まっすぐ弟の部屋へと向かう。
ベッドに潜り込むと、アルフォンスの匂いに包まれながら、目を閉じた。
一日中会えないのなんて、当たり前のようにある。
一人で夜を過ごすのも頻繁だ。今日みたいに弟が帰ってこない日もあるし、自分が司令部に泊り込むときもある。
しかし今日会えないのは、なんだか辛い。
あの金色の瞳と包み込むような優しい空気に、どうしても触れたい。
明日、自分が家を出る前に、弟は帰ってくるだろうか?
エドワードはアルフォンスの移り香が残る毛布を手に取ると、キスをする。
そうしてキスした毛布を握り締め、そっと胸に抱いた。
早く明日にならねえかな。
おまえに触れたいよ、アルフォンス。
硬質な熱 1
|