兄さんはまだ寝ている。今日は、午後からの勤務らしい。
僕は先に起きて服を着る。
部屋を出て朝の支度を全部済ませ、時計を見ると、まだ家を出るには早い時間だった。
なんとなく、浮き立つような気分で、自分の部屋へと戻る。
静かにドアを開けて、足音を殺し、中へ入ると、カーテン越しの柔らかな朝の日差しの中で、僕のベッドに寝ている人は穏やかな寝息を立てていた。
白い左肩と右足の先をちょっとだけ覗かせて、毛布にすっぽり包っている。
服を着ていないせいか、体を少しだけ丸めて、毛布で全身を守ろうとしているかのように、左手で握り締めていた。蛹みたいだ。
「兄さん」
ベッドの端に座り、髪を撫でる。
白いシーツに流れている金色の長い髪を手にとって、そっと唇を寄せた。
昨日と同じ、いい匂いがする。
疲れた、と言いながら帰ってきた兄は、早々にお風呂に入ってソファに凭れ、ぼんやりしていた。
「……いい匂いがするね」
僕は隣に座って、顔を近づける。
「風呂上りだからだろ」
「兄さんの匂いがする」
言うと、兄は顔をしかめた。
「……おまえ、匂いとか言うなよ」
「どうして?」
「どうしてって………なんかこう、嫌な感じがするだろが」
「そう?」
首の付け根に手をやって、うなじを露わにすると、僕は鼻先を寄せた。
「こーんないい匂いなのに?」
「うわっ、なにしやがる」
「兄さんの匂いを堪能中」
「ばばばか、すけべっ」
首を竦めて体を縮込ませる。そんなかわいい仕草をされたので、僕は完全にスイッチが入ってしまった。
「……ただ匂いをかいでただけだよ。すけべっていうのは、こういうことを言うんじゃない?」
シャツの裾から手を差し入れ、わき腹と胸をそっと撫でた。
「わ、わかった、わかったから」
「分かったって、何が?」
「アルフォンス君はすけべじゃありません」
「すけべだけど」
「どう言やいいんだよ、このやろ。オレは疲れてるんだ」
「リラックスさせてあげるよ」
「いまリラックスしてたんだよ、邪魔すんな」
「一人でリラックスしないでよ。僕だって癒されたいんだからさ。二人で気持ち良くなること、しよう?」
「え……遠慮します」
「遠慮なさらず」
「間に合ってますから」
「僕は間に合ってません」
「ちょちょっと待て。な?」
「待てない」
「え、えーと、ここ、明るいから……」
「じゃあ暗いところに行こうね」
「ちょちょちょっと待っ…」
体を抱え上げて、そのまま僕の部屋へと拉致した。
「………兄さんってさ、無駄にきれいだよね」
他のところでも……例えば軍の仮眠室とかでも、こんな寝顔を他の人間に見せているんだろうか?
使用中のベッドはちゃんとカーテンを引くことになってるけど、兄さんが寝ていると知って覗いたりする人間がいないか、心配だ。
もっと人を惹き付ける様な容姿をしていなければ、僕もこんな心配しなくて済むのに。
右手で額を押さえるようにして、唇を重ねる。
何度も啄んで、薄く開いている隙間から少しだけ舌を潜り込ませて、ちょっとだけ歯を舐めた。
「……なんか出勤したくなくなったな…」
ベッドに両手をついて、寝ている兄さんを見下ろす。
そっと屈んで、顎の線を舐めて、耳を舐めた。
ちゅ、と音を立てて首筋にキスした時、兄さんが薄っすらと目を開けた。
「………? …な…に……」
「おはよう。起こした? ごめん」
「……アル……?」
「うん」
「……どうした…」
「どうもしないよ」
「…こっち、来い。……兄ちゃん、が……」
抱っこしてやるから、と両手を伸ばしてきて僕の首に回し、自分の方へと引き寄せる。僕を自分の胸に抱いて、髪を二度撫でた。
そうしてそのまま、また寝息をたて始める。
上下する胸に抱かれて兄の心音を聞きながら、僕は赤くなってしまった。
そっと首へ回された腕を解き、体を起こす。
「………なに寝ぼけてんの。……いくつの時の夢だよ…」
なかなか顔の熱が取れずに困りながら、もう一度唇に軽いキスをした。
「じゃあ行ってくるね」
照れくさいような、でもやっぱり、なんとなく浮き立つような気分で部屋を出る。
自分のベッドに寝ているあの人が、誰も知らない、僕だけの秘密の場所に隠している大切な宝物のような気がした。
僕のベッドで寝かせて朝を迎えさせたいなんて、独占欲丸出しの自分が恥ずかしいけど、それでも思ってしまう。
僕のものだ。
僕だけの 。
些細なこと
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