「兄さん…」
情欲に満ちた甘い声で囁かれ、もうそれだけで躰の芯が熱くなる。
名前を呼ばれただけで震えるオレを見てアルは、ふ、と吐息だけで笑い、しなやかに伸びた長い指先で前髪を掻き上げてくる。
「力抜いて。ね?」
そう簡単に出来るなら、とっくにやってる。
これからツライ思いをするのは、アルよりもむしろオレの方だ。
宥めるように、髪を掻き上げていたアルの手のひらが頬を滑り、首筋を辿って鎖骨を撫でる。
思わず肩を竦めてアルの手を挟み込んでしまった。
「力抜いて……」
うるせぇ、バカ! だったらこんなこと、すんな!
抗議の声を上げたいが、口からは震える吐息しか出てこない。いま言葉を発そうとしたら、へんな声が出そうだ。
左手の甲で口元を隠して顔を逸らし、持て余す熱を少しでも逃がそうと、ぎゅっ、と目を強く閉じる。
アルは本当にオレを宥める気があるのか、逸らした事で露わになった耳を甘く噛んでくる。
「…んん………、あ…っ」
抑えきれず、必死に耐えようとしていた声が漏れた。
全身が腫れたみたいに異様なほど敏感になってるのに、なんてことしやがる。
アルの唇と舌は、耳から首筋へと濃厚な愛撫を施し、喘ぐのを耐えるオレを更に苦しめた。
ますます躰が強張るのを見て、弟はまた笑みを漏らす。
困ったな、と全然困ってない声で言って、オレを掻き乱し続ける暖かな手を、滑らせてゆく。
指先で胸を触られ、躰が跳ねた。
執拗にされて、呼吸はどんどん荒くなり、その乱れた息遣いをアルに聞かれているのが恥ずかしくて、息を止めたくなる。でも止めれば止めるほど、酸素を求めて呼吸は乱れた。
「一度、イったほうがいい?」
胸元を弄っていた手が、するりと脇腹を撫でながら下がり、下肢へと伸ばされる。
「……や……いやだ……!」
アルの胸を押して引き離そうとしたが、体はこんなに強張っているのに手に力が入らない。
それでも弱々しい抵抗を続け、この疼きから逃れようとする。
機械鎧でアルフォンスを殴ってやろうかと右手を上げたが、あっさりブロックされて逆に掴まれ、ベッドへと手首を縫い付けられてしまった。
振り解こうとしたが、アルの力強い大きな手でがっちり押さえられ、びくともしない。
「はなせ……!」
「イヤ」
鎖骨を舐められ、強く吸われる。オレはまた身を竦めた。
「一人でイクのが嫌なら、一緒にイこうか。 兄さん、協力して?」
って、そこで喋るな、ばかアル。更に躰が跳ねるだろ。
アルの脚が器用にオレの両足を割る。
一番、嫌な瞬間が訪れる。
オレの両手首を左手で掴んでベッドへ縛め、右手でオレの脚を大きく開かせて、片方の脚を抱え上げる。
抵抗は出来ないし、羞恥に染まる顔も隠せなくて、泣きたくなった。
「………なんでそんなに慣れないの」
知るか、バカ!
宥めるために、アルはオレの瞼や鼻先や唇に小さなキスを幾つも落とす。
「ゆっくり息をして、力抜いて………」
「……は…っ……、ア…アル………っ」
つながるために、アルがゆっくり躰を進めてくる。
「そういえばエルリック少佐って、童貞なんですか?」
ぶはっ、とオレは飲み差していたコーヒーを噴き出した。
なんとなく同じ時間に集まる連中と休憩室でダラダラしながら、週末のバーでナンパした女がどうとか、前に付き合っていた女がどうとかいう、下世話な世間話をしていた。
みんなで盛り上がる中、興味がなくて一人参加しないでいたら、急に話を振られたのだ。
「少佐って、いっつもこういう話に混じってこないし。ひょっとして童貞なのかな、と思って」
おお、俺も聞きたい、と場がさらに盛り上がる。
誰が答えるか、そんなこと。
しかしオレに代わって答えたヤツがいた。
「童貞じゃないぜ。いま、現在進行形でつきあってるヤツがいる」
「えっ! それ本当か?」
「本当なんですか、少佐!」
本当だ、と同じ国家錬金術師のヤツが言った。
「昨日、一緒にシャワー浴びてたら、左の鎖骨んトコに、つけたばっかりのキスマークが付いてた。あと脇腹にも付いてたな」
ってちょっと待て。誤解を招くような言い方すんな。「一緒にシャワー浴びた」んじゃなく、「シャワー室でたまたま一緒になった」だろが。
「見せろ、エド」
「うわわわ! バ、バカ! なにしやがる!」
数人がかりでオレの抵抗を封じ、一人が軍服とワイシャツのボタンを外して左の襟元を肌蹴る。
「おっ、本当だ」
「まあ、エドワードくんったら、いつの間にこんなえっちくさい痣を!」
「大胆な女と付き合ってんな」
みんなで覗き込んでくる。
「見んな、すけべ!」
抵抗しつつ怒鳴ると、いや、すけべなのはおまえだろう、と誰かが言って、休憩室は笑いに包まれた。
「それにしてもきれいな肌ですねぇ。自由に出来る少佐の彼女、羨ましいなぁ」
最初に「童貞なんですか?」と聞いてきた軍曹は、オレの肩と鎖骨を眺め、ちょっと試さしてクダサイよ、と肩に噛み付いてきた。
ちく、と痛みが奔り、オレは左手で拳を作るとそいつの頭を殴った。
「痛いっすよ少佐〜」
「うるせぇ。右手でなかっただけ感謝しろバカっ」
俺にも試させろ、と群がってきた野郎どもを、オレは襟元のシャツをかき合わせながら蹴散らした。
「なあ、それで相手、どんな女なんだよ?」
身を乗り出して聞いてくる。
「いいだろ、どんなヤツでも」
ぞんざいに返事をするが、みんな引かない。
「年上か? 年下か?」
「しつこいな。なんでそんなに聞きたがんだよ」
だって、なあ? と顔を見合わせ、うんうんと頷き合う。
「おまえ、見た目だけは色っぽくなったけど、恋愛事からは一番遠いじゃん」
「ガキだガキだと思ってたが、やっぱ年頃になるとそうなるもんなんだなぁ」
「天才錬金術師もただ人の子なんっすね」
「エドが誰かとこういう事をするようになるとは」
「オレだってこういう事するようになるとは思わなかったよ!」
つい言ってしまい、しまったと右手で口を塞いだが遅かった。
「認めたな、エド!」
「相手誰だ」
「軍人か? 民間人か?」
「年上のお姉さんとかか?」
「どこで知り合ったんです」
オレは再び口を噤んだ。そう簡単に喋るかよ。
「ずりぃぞエド。俺たちのばっか聞きやがって。自分はだんまりかよ」
「おまえらが勝手に喋ってたんだろ。オレは知らねえ」
さっさとこの場は立ち去った方がいいと思い、イスから立ち上がろうとしたら、一人がオレの肩を押さえてそれを阻んだ。
「おまえら、訊ね方が分かってないな。こいつがそんな聞き方で喋ると思うか」
ニヤリと笑って、オレの肩を優しく抱き寄せ、耳元で囁いた。
「エドワードくん。喋んないとアルフォンスくんに告げ口しちゃうよ? あ、それとも弟くんは彼女のこと知ってるのかなぁ。聞いちゃおうかなぁ」
告げ口も何も、コレをつけたのはヤツだ。
黙っていると、そうか、と言って
「よーし、アルフォンスに直接聞こう。おい、誰かアルフォンスをここに連れて来い。ここに2人並べて聞き出そうぜ」
と喜々としていった。
よし分かった、と一人が休憩室を本当に出て行こうとする。
「待てバカっ!」
アルに直接聞かれるのはマズい。なんかこう、マズい。それだけはマズい。
慌てて止めたオレを、数人がしたり顔で振り返って、ニヤリと笑った。
「そうか。じゃあすっぱり話して貰おうか」
オレは顔を引き攣らせた。
休憩室にいる全員に周囲を囲まれ、小さくなってイスに座る。
はっ。「小さく」なんて自分で言っちまった。くそう。
「ではまず相手の歳から聞こうか」
年上か? 年下か? と聞かれ、一つ年下、と不貞腐れて答える。
「へえ、なんとなく意外だな。年上だと思ってた」
誰かが言う。
「髪は? 長い?」
「短けぇよ」
「どんな感じの人だ? 美人?」
「美人って言うより、カッコイイ……かな。あと、可愛い……ような」
「ボーイッシュな感じかぁ」
嘘は言ってねえよな、嘘は。
「背は? おまえより小さい?」
余計なお世話だ、と言ったヤツの脚を蹴ってやった。
「なんて言って誘うんですか?」
「は?」
最初、なにを言われてるのか分からなかった。しかし周囲はオレを置き去りにして、勝手に進む。
「エドだったらストレートに『やらせろ』じゃねぇか?」
「ばーか。いくらなんでもそれはないだろう。もっと湾曲に、していい? とか」
「していい? よりはエドの場合、やろうぜ、じゃないか?」
「いやぁ、意外とムードを大切にする方かもよ? 欲しい、って言うとか、キスの延長でそのままなだれ込むとか」
「かわいく、仲良くしよう、とか?」
で、どっち、と一気にみんなの視線が集中する。なにが、と混乱してると、だからどうやって口説くんだよ、と誰かが言った。
「口説くって……」
「どうやってその彼女を抱くか、だよ。おまえから誘うんだろ、当然」
オレはイスをひっくり返す勢いで立ち上がった。
「だだだだだれがするか、そそそそそんな真似っ!!」
まあまあ、と宥められて、両肩を押さえられてもう一度イスに座らされる。
「なんだ、向こうから誘ってくれるのか? いいなオイ」
「そういう女と付き合えれば苦労ないよなぁ」
「で? その恋人はなんて言っておまえを誘ってくるんだ?」
「ちょっと待て。なんでそういう話になるんだよ! 相手の容姿とか、そういうのが聞きたかったんじゃないのか!?」
「おまえ、オレたちの話、ちゃんと聞いてなかったんだな」
言って、すぐ右隣にいたヤツがニヤリと笑う。
「俺たちはどうやって女をベッドに連れ込むかって話をしてたんだぞ」
ここにいる全員殴って逃げようかと思った。
「で、相手はなんて言っていつも誘ってくるんだ?」
……本気で逃げたい。ああ、でもアルを呼ばれるのだけは勘弁。いや、そもそもなんでこんなことを人前で言わなきゃいけねえんだ。ちくしょう、そもそもアルが悪い。痣なんか付けやがって。
いつまでも黙っていたら、質問を変えられた。
「そういや、おまえはなんで自分から誘わねえの?」
「なんでって……」
オレは俯いて小さな声で言った。
「……はずかしいだろ」
「は?」
「恥ずかしいって、なにが? 服脱ぐのがか?」
「脱がなくても出来るだろ」
「セックス嫌いなのか、エド」
そういう直接的な単語、使うんじゃねえよ、とちょっと照れつつ、あんまり好きじゃねえ、と答えた。
周囲がどよめく。おまえ、それ男じゃねえぞ? なんて言われた。
なんで嫌いなんだ、と穏やかに聞かれる。
「……だ、ってよ、あ、あんな………一番好きな人の前で、あ、脚、とか、大きく、開かせられたり……胸に膝が付きそうなくらい………その、折り曲げられたり、か、片脚だけ、持ち上げられて………相手の肩に乗せられたり……は、恥ずかしいだろ」
「ああ、相手が? 嫌がってる素振りなのか?」
「いや、けろっとしてるけどよ……」
「じゃあ何も問題はないだろ?」
「でもオレは恥ずかしいの!」
「恥ずかしいなら、そういうの、しなきゃいいだろ」
「そうだけど……そうも言ってられないだろ。……も、求め、られれば、応えてやりたいし」
話が微妙にすれ違いつつ、でもそれを意識する余裕はあまりなかった。
悩んでいるのだ、オレは。
それでなくてもオレは、アルが与えてくる快感に慣れない。いつもいつも翻弄されて、自分を見失う。
いや、逆か。いつもギリギリのところで留まっているから、あんな激しい羞恥を感じてしまうのか。
いっそ意識を手放した方がいいのかとも思うが、我を忘れて乱れるのは、やっぱり怖い。いつまでも理性にしがみ付こうとすればするほど、オレは辛くなる。
喘ぐのを聞かれたくないし、快感に震える顔も、アルに見られたくない。
「息遣いとか、こ、声、とか、聞かれるのも恥ずかしいし……みっともなく乱れて、呆れられるのも嫌だし、そんな自分を見られてるってのも、恥ずかしいし……」
しん、と室内が静まる。
あ、と言ってオレに「童貞ですか」と訊いてきた軍曹が、鼻を押さえて上を向いた。鼻血を出してる。
びっくりしてティッシュを差し出してやると、それを受け取った軍曹が、少佐の口からそんな言葉が出るとは思わなかった、と鼻声で呟いた。
まあ、なんだ、と隣に立ってるヤツが一つ咳をする。
「おまえはそれが辛いようだが、男という生き物は、そういうもんなんだ」
「そういう?」
「つまり、相手をひっくり返したりとか、折りたたんだり、恥ずかしがる格好をさせたりとかだな」
「わざと恥ずかしがるような格好させてるってのか!? なんでっ」
「そりゃあ……やっぱ、そういう恥ずかしがる顔とか仕草とかを見たいからだな」
「そうそう。普段からは想像できないような、こう、淫猥に変化する顔を見たいとか、喘ぐ声を聞きたいとか、そういうのが興奮するんだよ、男は」
「受け入れさせるために脚とか開かせるんじゃないのかよっ」
「うーん、まあそれもあるけど、やりようによっちゃ、どうとでも工夫できるもんだし。相手が恥ずかしがるところを見るの、楽しいだろエドも」
オレは頭を殴られたようにショックを受けた。
そういやあいつ オレが手で顔を隠したりすると、その手を剥ぎ取るし、恥ずかしがると、じっと見てる………。
「相手を乱れさせてナンボだぞ、セックスなんて」
「そうそう。だからおまえも深く悩まずにだな、思う存分気持ちよくなりゃあいいのさ」
オレはイスを蹴り倒して立ち上がった。
どこ行くんだエド! という言葉を後塵にして、勢いよく休憩室を飛び出した。
自分のバタバタという足音を聞きながら、中央司令部の廊下を闇雲に走った。
すれ違った幾人かが「どうしたエド」と声を掛けてきたが、立ち止まることなく、とにかく走った。
走り続けることしばし、前方のロッカールームから、私服に着替えたらしい見慣れた金色の髪をした長身の男が、ハボック少尉たちと一緒に出てきた。
「あれ、兄さん?」
オレは走る速度を緩め、ヤツの前で立ち止まる。
「どうしたの? 赤い顔して」
左手で拳を握り、アルを殴ろうとする。
いつものように涼しい顔であっさりブロックされ、不思議そうにオレの顔を見下ろしてきた。
「兄さん?」
掴まれた手首を振りほどき、オレは力の限り叫んだ。
「アルのバカっ! すけべっっ!!」
唖然としてる弟を残し、オレはまた走り出す。
西棟の、廊下の突き当たりに激突して額にコブを作るまで、走り続けた。
翻弄されるエドワードくん
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