胸が透くような蒼穹が、窓から見える空いっぱいに広がっている。
やわらかな風もほどほどにある。ドライブとかピクニックとかに出掛けたら、すんげー気持ちいいに違いない。
……きっと、洗濯物もよく乾くことだろう。
「……………」
ゴウンゴウンと洗濯機が回る。
渦を巻く水流を眺め、洗濯機の淵に両手をついて、はあ、とオレは重い溜息を吐いた。
ちくしょう。
昨日、ベッドのシーツ交換したばっかなのに。
なんでオレがこんな、思春期のガキみたいな恥かしい思いして、朝っぱらからシーツを洗濯しなきゃなんねーんだよ。
どうしてアイツはこう、いつもオレに恥かしい思いばっかさせるんだろう?
「兄さん、明日仕事は?」
風呂から上がって、もう寝るだけって格好でリビングで髪を拭いていたら、背後からアルに声を掛けられた。
「あー、明日は休みで明後日は夜勤」
「実は僕も明日はお休みなんだよね」
「じゃあ明日は2人でのんびり出来るな」
そういや日用品とか買出ししてぇなぁと思ってたんだ、明日は買い物にでも行こうか、と続けようとしたら、後ろから静かに手を回されて、体をアルの腕の中に抱かれ、うなじにキスをされた。
「なっ、なに」
「明日だけじゃなく、今日の夜ものんびりできるよ。 2人で」
「の、のんびり話でも」
「そうだね。夜は長いし、明日は休みだし」
ちゅ、とわざと音を立てて首筋にちゅーされて、オレは焦った。
「やっぱ眠いからもう寝る」
「そう。じゃあ兄さんの部屋に行こうか」
言い終わると同時に体を抱き上げられ、暴れると落ちちゃうよ? と脅されて抵抗らしい抵抗も出来ず、オレの部屋へと連れて行かれてベッドの上に静かに下ろされた。
そのままオレの上に圧し掛かって、パジャマのボタンを外し始める。
「ちょっっっとまてっ! オレは寝るんだ!」
「僕とコミュニケーションしたらね」
「いつもしてんだろ!」
「いつもしてないでしょ、セックスは」
「うわーっ! そういう直接的な単語で言うんじゃねえ!」
「じゃあ『仲良くなる』? 『スキンシップ』とか」
「仲良くスキンシップしてんだろ、いつもっっ」
「キスくらいじゃ全然足りないよ。兄さんがいつもそうやって嫌がるから、自重してるのに」
「どこがだ!」
「本当は毎日でもしたいんだよ、僕は」
「オレはしたくない」
「どうして? いつも思うんだけど、なんで兄さんって、そんなにセックス嫌がるの?」
「だから直接的な言葉、で、…言う…な……っ。 ………っ」
こんな話をしてるのに、アルの手はお構いナシに動いて、オレの体を敏感にしていく。
「僕が下手なのかなぁ。ねえ、どうして?」
「……ん…っ」
「それとも、気持ちよくならない?」
今度は舌で首の付け根と鎖骨を舐めて、オレを翻弄し始める。
「……そんなはずないよね?」
「…は…っ…、………あ…」
思い出しただけでも顔に朱が上る。
てか、こんな爽やか天気の時に、何を考えてんだオレは。
「くっそぉ、アルのヤツ……」
アルだけのせいじゃないともちろん分かってるが、八つ当たりせずにはいられない。
次の日、こうやってオレは自己嫌悪に陥ったり、背徳感に襲われたり、何もなかったかのように空々しく振舞う努力とか、でもどうしても自分の痴態とかを思い出したり、アルの手や舌がどんなふうに動いたかとか、情欲に乱れるアルの表情とか、そんなアルを見て感じた羞恥とか………いろんなことにぐるぐるして、いっぱいいっぱいになる。
何も考えないで無心でいよう、平静でいようと自分に言い聞かせるのに、こうやってシーツとかを洗うハメになると、どうしても生々しく情事を思い出してしまう。
昨夜だって………オレはイヤだと言ったんだ。
こんなに早く追い上げられるのは嫌だ、性急過ぎて自分を抑えられない、自分をコントロールできないまま先に一人であっさりイカされてるのは、すごく嫌だと。
なのにアルは、余計なこと考えないでもっと我を忘れてよ、とオレを掻き乱し…………このザマだ。
「って、うあああああ! 朝っぱらからなに考えてんだオレはっ!!」
庭に干したシーツを前にして、頭を抱える。
なんか雄叫びが聞こえるけど、洗濯終わったの? と諸悪の根源がガラス戸から顔を出した。
「うるせえ!」
「うるさいのは兄さん」
近づいてくると、両手でオレの顔を持ち上げて、自分のほうへと向けさせる。
「どうかした? 赤い顔して」
「これが赤くならずにいられるかっ」
なに思い出してるの、とくすくす笑って、唇にキスしてくる。
「おま……っ、外ではやめろ」
「家の中ならいいんだ?」
「………キ、キスだけなら…」
「兄さん、結構キス好きだよね」
「キス好きなのはオマエ!」
ついでにえっちを好きなのもオマエだ、と心の中で詰った。
アルは肩を竦めて笑う。
「紅茶淹れるよ。ちょっとのんびりしてから買い物に出かけない?」
どうしてコイツは、あんな夜があった翌日もこうして自然体で居られるんだろう?
オレばっかり意識して、バカみたいだ。
服買って、メシ食って、本屋行って。
夕方になってから、日用品と食品を買うために、家の近くの大型店に入った。
ガラガラと交代でカートを押しながら、これ安いから買おうとか、久しぶりにコレ食いたいとか、今回は洗剤をこっちにしようか、と2人で買い物をする。
こんな時間、久々だ。
「あ、牛乳買わないと」
アルの言葉を受けて、ほら、とカートの中に1本入れてやる。
「3本は欲しいよ」
「オレ飲まないんだから、1本で十分だろ」
「料理用と僕が飲む分なの」
「もうそれ以上でかくなる必要ねえ」
「別に大きくなりたいから飲んでるわけじゃないよ」
アルは笑って、じゃあ間を取って2本ね、ともう1本を自分でカートの中に入れた。
なんか、こういうのっていいなぁ、なんて思う。
2人で買い物なんて、平凡でほわほわ〜っとしてて、仲が良い証拠、みたいな。
朝の鬱屈なんか何処かへすっ飛んで、オレはご機嫌でアルとの買い物を楽しむ。
このまま、ご機嫌なままで買い物袋を抱え、2人で家に帰るはずだった。
アルがこれも買おうね、と言い出すまでは。
風呂から上がり、バスルームからそっと廊下に顔を出して、あたりを見渡す。人の姿がないのを確認してから外に出て、静かにドアを閉めた。
足音を殺して……機械鎧の左足がちょっとゴツゴツと音を立てるが、最大限に注意をしながら、リビングへと向かい、そっと中を覗き込む。
アルの姿は見えない。
よし、と呟いて、自分の部屋へ走ろうとしたときだった。
「なにが『よし』?」
背後から間近で話しかけられて、飛び上がりそうになるくらい驚く。
振り返るとアルが笑って立っていた。
「なっ、おまえ、いつから……っ」
「最初から居たけど」
「言えよ!」
「いやぁ、兄さんが挙動不審なのが面白くて」
当初の予定通り、オレは走って自分の部屋に逃げようとする。しかし一瞬早く、アルに腕を掴まれてしまった。
「な、なんだよ」
「どこに行くの?」
「部屋に……」
「そう。じゃあはい、これ持って」
ぽん、と手渡され思わず反射的に受け取る。
それはアルがあの店で買った、手のひらに乗る大きさの、青色の四角い箱だった。
「これ、は……」
「うん、コンドーム」
うっぎゃーっ! と放り投げようとしたが、またまた一瞬早くアルに体を担ぎ上げられ、世界がぐるりと反転する。放り投げるはずが、青い箱をつい握り締めてしまった。
「しっかり掴まっててね」
「ちょっ……どこ行くんだっ」
「兄さんの部屋」
オレの体を肩に乗せて、リビングを横切り、部屋の前に行くとドアを開ける。
そのまま真っ直ぐベッドへと行って、昨夜と同じようにオレの体を横たえ、同じように圧し掛かって来た。
「な…なん……」
「仲良くなろうね」
「はあ!? 昼間仲良く買い物しただろ!」
「兄さんが直接的な言葉を使うな、っていうから間接的な言葉を使ったんだけど」
アルは笑って、ちゅっと挨拶のような軽いキスをしてきた。
「しよう?」
甘く言って、今度は唇で唇を包むように、優しくキスしてくる。
昨日のように性急に着ているものを脱がされることはなかった。
布越しに、ゆっくり体を触ってくる。
「今日はゆっくり、時間をかけてしようね」
「……オレは、同意…して、ねえ」
「じゃあ同意して?」
するりと首筋を撫で、まだ湿っている髪を撫でる。アルの節ばった細くて長い指が、そのまま髪の中に差し入れられた。
「………っ」
「どうしたの? 体が強張ってる」
くすくすと笑って、耳を噛んでくる。舌を入れられ、全身が震えた。
オレはまだ同意してないのに、アルはじれったい程のもどかしさで、パジャマ越しに体を弄ってくる。
もしここで「嫌だ」と本気で言ったら、きっとアルはやめるだろう。
嫌だと言えばいいんだ。
そうすれば、乱れる自分に困惑することも、そんな自分をアルに見られて恥かしい思いをすることも、次の日思い出して居たたまれなくなる事もない。
「………兄さん……」
嫌だと、一言 。
「…ん……んん………っ」
アルの手の動きに、体中の力が抜け、陶酔となるのを感じる。
拒絶の言葉なんて、もう出てこない。アルの熱と吐息を間近で感じて、オレまで熱くなる。
オレはアルに抱かれるのが、本当は好きなんじゃないだろうか? 嫌だと言いながら、結局は受け入れてしまう。本当に嫌なら暴れてでも拒めるはずだ。
……本当に、嫌なら………。
「…あ………っ ん、う……」
アルの手が、体中を滑っていく。
ゆっくりと官能を引き出そうと動く。昨夜はあんなに性急に追い詰められたのが辛かったのに、いまはこのもどかしさが辛い。布越しの愛撫の手は、かえってオレの中の深い場所を疼かせた。
「アル……、もう……」
「我慢できない?」
眼差しを甘くして、オレを見下ろしてる。
嫌だ。顔を見られたくない。
ぎゅっと目を閉じて、横を向く。
アルの手が、ゆっくりと下だけを脱がせていく。
羞恥で全身が震えた。
体も見られたくない。普段は平気なのに。
誰かに見られることが嫌なんじゃなく、アルに見られるのが恥かしくて嫌なんだ。
こいつはそれを分かっているんだろうか?
なんで……いつも、じっと見つめてくるんだろう?
アルの視線から少しでも隠そうと、体を捩る。アルは構わず、そのままオレの熱へと指を這わせてきた。
「ダメ……だ……。離せ。……汚れる……っ」
ぎゅ、と自分の手を握り締める。
左の手のひらの中から、ガサリと音がした。
「まだ持ってたの?」
アルの笑う気配に促されるように、オレは目を開けて自分の左手を見る。
アルは指を一本一本解いて、オレの手のひらの中から、少しだけ変形してしまった、さっきの青い箱を取り上げた。
「僕は自分のを持ってるけど、これは兄さんのために買ったんだよ。いつも次の日、情事の跡を見つけたりすると、兄さん辛そうだもんね」
いま兄さんにつけてあげるから、とあんまりな事を言ってるのに、その目は優しくて、オレはまた昂ってしまう。
青色の箱から一つだけを取り出して、今までオレを掻き乱していた長い指と歯で袋を破く。
アルの手が、下肢へといく。でもオレはもう、限界だった。
「だめだ……っ、触ん、な…………!」
青い箱の中のモノは使われることなく、アルに少し触られただけでオレはみっともなく放逐してしまった。
窓から見える空はどこまでも青く、澄み渡っている。
優しい風がほどほどにあって、日差しもある。雲ひとつない晴天だ。
きっと洗濯物もすぐに乾くだろう。
「………………」
ゴウンゴウンと洗濯機が回る。
オレは洗濯機の淵に両手を着いて項垂れ、はぁ、と溜息を吐いた。
ちくしょう。昨日、シーツ交換したばっかなのに。
一昨日だって交換したんだぞ。ウチは交換しすぎだ。
オレのせいだけど、アルのせいだ。
昨夜のアレは撤回。
オレはやっぱりアルに抱かれるのが嫌。今度こそ拒んでやる。絶対に拒んでやる。
そう思う反面、結局は拒めない自分をオレは知っている。
くそう。惚れた弱みってやつか?
今日の空みたいなあの青色の箱、また次回、使われるんだろうか?
オレのためだとは言うが……アレはアレで生々しいんだよな。
…………嫌だ。
空色の箱
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